ブックタイトルz02_201407230000_mmuship_vol03
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MMU SHiP vol.035日本のスーパーマーケットの精肉コーナーでは、「輸入牛」「国産牛」「和牛」の3種類の牛肉が販売されている。一番安価な輸入牛はよく知られているが、国産牛と和牛の違いについてはあまり知られていない。国産牛とは、ホルスタイン種等の乳用種や乳用と肉用の交雑種も含め、日本国内で3カ月以上肥育された牛の総称である。現在はほとんど流通していないが、外国産の牛が日本で3カ月以上肥育されれば、国産牛と称することが可能である。一方で、和牛とは、日本の在来種をもとに、交配を繰り返して改良された肉用種の牛である。日本では現在、「黒毛和種」「褐毛和種」「日本短各種」「無角和種」の4種類しか存在しない。ここ数年間で、「宮崎牛」という名称が全国的に浸透してきている。平成24年10月に開催された第10回全国和牛能力共進会において、宮崎牛が見事に連覇を果たし、口蹄疫からの復興を全国に印象づけたことは記憶に新しい。今回は、宮崎県産の最高レベルの黒毛和牛である「宮崎牛」にスポットを当て、その生産現場を取材した。繁殖農家と肥育農家2月上旬の早朝、宮崎市塩路の「長友牧場」を訪ねた。白い息を吐きながら車から降りると、牛の鳴き声が聞こえ、それと同時に牧場独特の匂いが広がる。入口に撒いてあるのは、消毒用の白い粉末。口蹄疫の影が未だ去っていないことをひしひしと感じる。長友牧場の主である長友明さんは、畜産農家を32年間続けるベテラン農家。肉牛の農家には、母牛に仔牛を産ませて生後10カ月まで育てて出荷する「繁殖農家」と、その仔牛を買い取り肉牛として適した年齢まで育てて牛肉を売る「肥育農家」が存在する。長友牧場は、繁殖農家を本業として、親牛110頭と仔牛80頭を育てながら、20頭の肉牛を育てる肥育農家でもある。意外なことかもしれないが、高級和牛として有名な松阪牛や神戸牛は、宮崎県外の肥育農家が宮崎県の繁殖農家から仔牛を購入し、それぞれの土地で育てた牛も含まれる。長友さんの牧場の牛たちは、年齢ごとに区分けして飼育されており、朝夕の餌も、年齢ごとに少しずつ異なるものを与えられている。赤身のバランスを整えるためにビタミン剤は与えない。脂肪の色が白く輝くように、自然乾燥させた真新しいわらや、全国的にプレミアがついて有名な宮崎の某焼酎の酒の搾りかすを与える。その飼料には、長年の経験の蓄積による工夫が凝らされている。口蹄疫~前と後~口蹄疫とは、口蹄疫ウイルスによる家畜伝染病である。宮崎県では2010年に猛威をふるい、その被害は宮崎県内各地に広がりを見せ、最終的な終息までに29万頭の牛と豚が殺処分され、被害総額は1000億円以上にのぼった。初期段階の対策として、初めて感染が確認された農家の半径10キロ範囲内に位置する農家の牛は全頭殺処分を受けた。長友さんの牧場は、結果的には辛うじて範囲外だったが、殺処分の決定を知らされた時は目の前が真っ暗になり、涙が止まらなかったという。全国のマスコミからも取材を受け、長友さんが涙ながらに惨状を語る様子は、全国のテレビニュースで放映された。殺処分は免れたものの、口蹄疫終息後も問題は山積みだった。仔牛や肉牛がすべて10カ月の間出荷禁止になったが、牛を飼い続ける限りは食事を与えなければならない。そのため、収入がない期間に飼料代の出費だけがかさんでいく状況が続いたま。た、口蹄疫発生から約半年間、人工授精師による雌牛への人工受精も禁止された。その結果、母牛の出産に空白期間が生まれた。現在でも、長友さんの牧場では1カ月間仔牛が1頭も生まれない月がある。また、その翌月にまとまって生まれるという現象が起きている。県内の畜産農家全体で、口蹄疫発生の前と後は牛が2000頭弱減少したという。このように口蹄疫という伝染病は、宮崎県の畜産農家の歴史に大きな爪痕を残した。畜産の現状と未来宮崎県内には10頭以下の牛を育てている繁殖農家が多く、平均年齢は70歳。高齢で仕事が体力的に厳しくなって牧場を閉めるケースも多いという。多額の初期投資が必要なため、若者の新規参入も簡単にはいかない。しかし、長友さんは前を向いている。全国各地からの農業研修生を積極的に受け入れて、後進を精力的に育てている。宮崎牛のPRにも尽力し、読売巨人軍の澤村投手が長友さんの牛にミルクを与える写真は、宮崎市の広報誌の表紙を飾った。復興までの道のりは、それぞれの農家の地道な取り組みによって支えられていたのだ。現在話題になっているTPP問題について尋ねてみた。「宮崎の繁殖農家が出荷する牛はブランド和牛なので、牛肉として外国と競合することはないのではないか」とのこと。「ただ、繁殖農家は飼料や機材の燃料等様々な経費がかかるので、一概には言えない」とも。取材の最後に、「厳しい現状もあるけれど、繁殖農家は生き残ることができる」と力強く宣言した長友さん。きびきびと力強く仕事をされるその姿からは、口蹄疫からの復興に対する強い思い、そしてこれからの宮崎の畜産にかけるひたむきさと情熱を、垣間見ることができたように思う。123牧場の朝は200頭以上の牛への餌やりから始まる。1カ月の餌代は100万円を1てもらった。それぞれの仔牛がミルクを飲む量にも目を光らせて、その日の体調を把握している。「副牧場長」の愛称で愛さ2れる猫。家族の一員。超える。仔牛へのミルクやりを手伝わせ3長友明さん畜産農家。長友牧場を妻と二人で切り盛りしている。52歳■記事古川瑠衣(2年中国文化論ゼミ)、山本麻育子(2年社会学ゼミ)