ブックタイトルz02_201407230000_mmuship_vol03
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MMU SHiP vol.033平成25年1月17日、午前8時。真冬の朝の凜とした空気のなか、漁船やひろ丸は青島漁港を出発した。右手には城山にそびえたつ仏舎利塔、左手には洋上に浮かぶ青島が見える。オレンジ色の朝日が反射してきらめく海面を、漁船が波をかき分けて走っていく。宮崎公立大学(以下MMU)が位置する宮崎市の中心から南へ約16キロ。鰐塚山地が太平洋にせり出してくる宮崎平野の南端に、宮崎市青島地区は位置している。この一帯は、青島神社や鬼の洗濯板等で全国的に有名な観光地であり、イセエビやカツオ、マグロ、アジ、サバ、ハモ等が水揚げされる漁港の町でもある。この青島で生まれ育ち、現役の漁師として長いキャリアを誇る一方で、宮崎市漁業協同組合長として宮崎市全体の漁業と地域コミュニティの活性化に尽力する矢部廣一さんを訪ねた。ると顔がほころぶ。今回同行させてもらった漁は定置網漁と呼ばれるもので、海中に仕掛けた網にかかった魚を獲る「待ちの漁」だ。矢部さんの操舵する漁船に、宮崎市内で居酒屋を営む児玉さん、矢部さんの長男が営む会社の社員である大村さんの3人で漁に出る。意外なことに、矢部さん以外の2人は漁師ではなく、それぞれ別の仕事をもっていて、時々漁の手伝いに来る間柄だという。陸地からおよそ1キロ離れた沿岸部まで20分ほど。網を仕掛けてあるポイントで船を止め、電動のウィンチで網を巻き上げていく。網にかかっているのは、綺麗な身のサゴシを中心に、カンパチやアジ、太刀魚やメジナ、アオリイカなど多種多様。3人は慣れた手つきで網から魚をはずし、ポンポンと甲板に放り投げる。体長1メートル近い大ニベが見えた時には3人から歓声が上がった。網を引き揚げてみるまでは、その日の成果はわからない。たくさん獲れる日もあれば、網の中にごみしか入っていない日もある。「経験と腕っぷしの世界。サラリーマンと違って、毎月一定の収入が保証されている仕事じゃない。そのかわり、60歳の定年もないから、老後の職を心配する必要もないよ」と、矢部さんは朗らかに笑う。1時間ほどの漁を終え、船は青島漁港に戻る。漁協の職員が獲れた魚を船から運び出し、数やサイズを計測し、宮崎市中央卸市場へと運んでいく。漁が終わって、児玉さんと大村さんは「お疲れ矢部廣一さん宮崎市漁業協同組合長、漁師。MMU就職支援室の黒木室長とは、宮崎南高校の同級生矢部さんは現在62歳。高校の同級生が首都圏の大学に進学するなか、父親が青島の地で始めた漁業を継ぐことを決めた。それ以来40数年間、専業の漁師として海の上で戦ってきた。現在は、早朝に船を出して魚を獲り、それ以外の時間は漁協の組合長として業務をこなす毎日だ。剛健、という言葉がふさわしい海の男の風貌だが、孫の話をす経験と腕っぷしの世界様でした」の言葉を残し、それぞれの職場へと移動していった。おすそ分けの文化矢部さんのお話を伺っていて興味深かったのは、漁師町に特徴的であるという「おすそ分けの文化」だ。漁師の家族は、日常生活の中で親戚や知り合いに会う時、必ずその日や前日に獲れた魚を持ち寄って贈り合うという。「その魚を売れば数千円にはなる。会うたびに数千円の現金をプレゼントすればおかしな具合になるが、魚ならそれが自然になる。昔からの風習だけど、コミュニティの結束を強める先人の知恵なのかな」と矢部さんは話す。青島の若い漁師は、地区の消防団員を務める人が多い。漁師の仕事は早朝から始まるため、午後は手が空くこともあり、その時間に火事や水難事故があれば、地域の安全のために出動する。つまり、労働時間を「おすそ分け」して、地域のために持ち寄っているとも言えよう。隣人の素性も知らぬまま暮らすことも珍しくない都会では、生活の単位は個人だ。一方で、漁師町には「おすそ分け」精神で助け合い、個人を優しく包摂する「地域コミュニティ」という単位が存在する。取材当日も、おじいちゃんが孫をかわいがるように、突然来訪した私たち学生記者を獲れたてのアオリイカと握り飯で温かくもてなしてくれた。矢部さんに漁業の現状について尋ねてみると、食の欧米化と若い世代の「魚離れ」によって、魚の消費量の落ち込みが深刻だという。また、前述のように安定した収入を得られる絶対の保証がないため、漁師の数も減少傾向にある。しかし、その現状を手をこまねいて見ているわけではない。宮崎市漁業協同組合では「青島どれ」魚介類のブランド化を図るため、青島漁港内に直売所やレストラン「港あおしま」をオープンするなど、打開策を模索し、常に新しいことに取り組んでいる。MMUの県外出身の学生からも、「宮崎に来て初めて魚をおいしいと思った」という声をよく聞く。その新鮮な魚を食卓に提供してくれている、誇りと優しさをあわせ持つ漁師の存在を心に留めて、今日も「いただきます」と言いたい。漁業の現在と未来この日一番たくさん獲れたサゴシ。船上231で箱につめて新鮮なまま出荷する。港で2は漁協のスタッフが連携して魚を仕分け処理をする。大物のニベはいけすの中でしめ3られた。生きたアオリイカのおすそ分け。漁協内の厨房でさばき方を教えて頂きごちそうになった。包丁を縦に入れるか横に入れるかで刺身の歯ごたえが変わることを初1めて知った。写真は山本記者。