ブックタイトルm27_20120614152353_takaharu_k_h2404

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広報たかはる昭和43年4月号の記事より新たな旅立ち3月23日に町内各小学校で卒業式が行われ、86名が通いなれた学校に別れを告げ、新たなスタートを切りました。卒業生たちは、式でのお祝いの言葉をかみしめ、よみがえるたくさんの思い出に胸を熱くしていました。狭野小学校のケヤキ学校で一番大きな木であるケヤキ。あまりにも大きすぎてもう木登りして遊ぶことはできません(笑)。いつもあまり気にかけませんが、今日はみんなで記念撮影です。(主役の木は見切れてる・・・)げなげな話▲野村祐助さん宅のモクレン(下麓区)▲田中博吉さん宅のモクレン(鹿児山区)て亡くなった。宮田政次は花い残して火だるまの姿になっ孫までたたってやる!」と言の凄い修験者で死に際に「子命じて殺害させた。民部はも赤塚真重、宮田政次の三名にまわしものとして、久留重辰、と、島津氏は民部を伊東氏の氏が伊東氏からこの地を奪うをさせていた。その後、島津民部という修験者に寺の管理地を治めていた伊東氏は池郷錫しゃく杖じょう院いんがあった頃、当時この霧島東神社の別当寺である★宮田政次?「高原町の民話」より?碑もある。に殉死した七名の家臣の鎮魂氏の墓が残っており、宮田氏界したという。花堂には宮田のはてついに鈴の音は消え他り、鈴を振り続けて七日七夜空気抜きだけを残して穴に入おうと花堂の墓地に穴を掘り、に残さず、自分一代でつぐな堂に住んでおり、災いを子孫広報10