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概要

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外国語指導助手のコーナー交通事故はもうたくさん「主文、被告を懲役一年に処す。被告は…」。あとは、もう何も聞こえませんでした。目の前が真っ暗になり、体から力が抜けていきました。その日は会社も休みで、新築したばかりのわが家を、九州の両親がはるばる見に来るというので、幼い子ども三人をワゴン車に乗せ、最寄りの駅まで迎えに行く途中でした。朝からもてなしの準備をし、子どもたちは、おじいちゃん、おばあちゃんに会えるというので大喜びではしゃいでおり、わたしも早く迎えに行ってあげようと、気持ちが焦っていました。片側一車線の幅3メートルの道路を、時速40キロ程度のスピードで走っていた前方の乗用車が小さな信号機のない交差点に差し掛かった時、急にブレーキを掛け、すぐに方向指示器を出し右折しようとしました。「危ない車だよなあ」とムッとした気持ちで、にらみ付けながらアクセルを踏んでいました。目を前方へ向けようとした瞬間、車の左側にショックを感じ、何か白いものが流れたような気がしました。通り過ぎた後、思わずルームミラーで後方を見ましたが、目に入ったのは、後方から来る車のライトだけでした。わたしは動転した気持ちの中で「何にぶつかったんだろう。まさか人であるはずがない」と祈りながら、子どもたちの「早く迎えに行かないと、おばあちゃんたちが待ってるよ」の声を聞き、気付いたときにはそのまま駅に向かって走っていました。「しまった。ぶつかったものを確認しなければ」と思いましたが、いつの間にか駅に着き、両親を乗せた後は、もう不安は募る一方でしたが、何もできませんでした。ニュースで62歳の自転車に乗った女性がひき逃げされ死亡したと知ったのは、午後11時を過ぎていました。わたしの起こした事故と直感し、寝ていた妻や両親を起こし、頭の中で思い付くことを話して警察へ出頭しました。人の尊い命を奪ったわたしに、その日以降、生活はありません。自分なりに順風満帆と思っていた人生も、大きく変わり、長年勤めた職場も追われることになり、一生暗い影を引きずっていくことになりました。被害者のご遺族は示談に応じていただいたうえ、殺人者であるわたしに温かい心遣いをいただきました。今、わたしはこの刑務所で深い反省と償いの日々を送っています。実刑を受けても、やり直しのできるわたしは、亡くなった被害者の無念さを思うと、どれだけ幸いでしょう。K・K35歳銀行員償いきれないあの一瞬人の尊い命を奪ったわたしには、一生かかっても償いきれないと思いますが、ここを出所した後一般社会で生活していくにあたり、被害者の冥福を祈り、ご遺族の温かい心遣いやわたしの帰りを待っていてくれる妻や子どもたちのためにも、不徳で未熟なわたしですが、少しでも信頼される人間になれるように努力していきたいと思います。交通事故(人身)発生ワースト◎県内3位/平成24年1月31日現在(26市町村中)※ワースト…悪い方からの順位※贖いとは、罪を償うという意味。ここに掲載してある手記は、交通事故を引き起こして刑務所で罪の償いをしている人たちの懺ざんげ悔の記録です。一瞬の過ちによって、家族、恋人、友人など親しき人々から隔絶され、自ら犯した罪を反省している様子が文脈の端端から伝わってきます。このような悲惨な事故を引き起こさないよう、心の戒めにしていただきたいと思います。〔?東京交通安全協会提供〕オーストラリアと日本の商業関係は約120年前に始まりました。両国の良好な関係は、単に商業的な取引関係のみならず、さまざまな形で築き上げてきたものなのです。1980年代にオーストラリアの観光業が急成長し、オーストラリアを訪れる日本人観光客や留学生が増えたことが理由として挙げられます。また、オーストラリアでは日本語の学習が広まり、今では割合的に見ると日本語を勉強している学生の数が世界で2番目に多い国といわれるまでになりました。現在、JETプログラム(語学指導などを行う外国青年招致事業)の参加者として日本に住んでいるオーストラリア人は265人いるといわれています。わたしは、日本とオーストラリアが今まで続けてきた友好関係はさらに強くなると信じています。カースティン・イェイツオーストラリアと日本の関係広報みまた2012.419