ブックタイトルm22_201403030000_kushima_k_h2603
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随想にこにこ福祉作業所での干支作りの様子吉田美代治(よしだみよじ)(85歳)『縁ありて今あり、みんなのために奮闘中』人の一生の中で偶然に起きる人との出会いとは不思議なもので、その出会いが人生を人きく変え、一生を左右することだってある。私が北朝鮮で小学校高等科卒業時に製錬工場への就職を考えていたが、担任の先生から京城師範学校に新しく2年生予科甲ができるので受験してみないかと言われ、無事合格したことによって教員への道が開けたのであった。ところが終戦により学校は閉校となり、在学証明書のみが私の手元に残っていた。終戦後北朝鮮で抑留生活を強いられ、裸一貫の身で韓国に脱出して帰国の後、戦後の苦しい生活の中に身を置き、塩たき人人として働いていた時、台湾から引き揚げ宮崎師範学校へ編入した人と出会い、編人試験が近日中に行われる事を聞いた縁が、私の人生を形作るきっかけとなったのである。父から家計を支えるために就職してくれと言われたが意を決して宮崎師範学校へ編入して、アルバイトなどで学費や寮費を稼ぎながら勉学したことや、初任校人窪小学校と離島へき地の南郷町立大島小学校で、苛酷な労働条件に耐えながら情熱を発散したことなどが今走馬灯のように脳裏を巡っている。現在私は市から委託されて「ことばの教室」を担当している。毎週水曜日に保健福祉センター内で、就学前幼児のことばの発達の遅れや、発音異常の改善、吃音の矯正、情緒の安定、親のカウンセリングなどの指導を行っている。この事業に関わりを持つようになったきっかけは、昭和37年から3年間の複式学級指導経験が人束小学校での特殊学級「仲良し学級」開級初担任に結びつき、46年には県教委から人阪教育人学で「言語障がい児教育」の研修を命ぜられて、1年間家庭を離れて留学し、飫肥小学校や有明小学校で「ことばの教室」の担任を務め、その傍ら宮日母子福祉事業団の「ことばの教室日南会場」の言語指導を32年間努め、また、県委託事業の幼児言語発達訓練指導にも8年間関わった経験などにある。教職在職中には、知的障がい者手をつなぐ親の会の事務局長を10年務め、退職後も親の会の会長を務め、ノーマライゼーションの啓蒙にあたり、義務教育を終えた知的障がい者の社会自立を支援する活動を始めて、平成5年に通所作業所「にこにこ福祉作業所」(現:げんきの森)の前身)を創設し、市内のバッグ製造工場の協力を得て、糸切り作業などで工賃を頂き、給料を少額ではあるが通所者に支給するまでになった。平成8年には「ねんりんピック96宮崎」ウォークラリー都井岬大会の参加記念品製作を依頼され、馬の形をイメージした、板の壁掛けを900個、それぞれの能力を発揮しながら作り上げて納品し、参加者から人変喜ばれた。作業所の実績が各方面から評価され、諸団体からの援助や寄附も数多く受けることになった。その中に串間ロータリークラブの社会奉仕の善意が通所者の作業意欲を高揚させていた。私は作業所の所長として常にこの善意に感謝しながら通所者の社会自立の事業を展開して行った。平成13年に退任。お世話になったロータリーの、奉仕の理想に感銘し、串間ロータリークラブに入会させてもらい、国際的規模での奉仕活動、平和運動などに参画し活動を続けている。なお、3年前から串間史談会の会長として、串間市の史実研究、史跡調査、史跡ガイドの研修などに精力を注いでいる。詩吟を愛して39年。今は千種保育所で年長児に幼児向けの詩吟を教え、共に楽しみ、パワーをもらっている。12年前に始めた竹細工では、多くの仲間ができ、公民館講座に協力したりしている。これからもみんなのためになることを心がけて。