ブックタイトルm22_201305181201_kushima_k_h2405
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◎河野正名思いつくままに随Profile想かわのまさな(82歳)有明1区在住。昭和4年、福島地区・木代生まれ。現在、串間市シルバー人材センターの理事長を務める。昭和22年に国鉄に就職し、同59年に退職。串間市シルバー人材センター設立準備委員会を経て、平成3年4月1日、同センターを設立。理事長に就任。上/シルバー人材センター設立総会時の様子。下/有明小前で交通指導にあたる筆者。成3年の始め、市報でシルバー人材センターを開設平すると知り、当時国鉄を退職し遊んでいたので何か仕事がもらえるかと思い申し込みました。説明会には市役所退職の山崎さん(故人)、小学校退職の谷口先生(故人)など20 ? 30名くらいの人が集まりました。福祉事務所黒木所長さんの説明の後、準備委員会を作るよう言われ、わたしは年長の山崎さんを推薦。山崎さんは「河野さん、市役所へ行くのに近いから君がやってくれ」と言われお受けすることにしました。何回か会合するうち、失業対策事業に参加したことのある2?3人から「道具は支給しないのか」との声が出ました。失対は道具を全部支給していたとのことで、シルバーとは全く異なったやり方だったようです。後日、宮崎での会合でその話をしたところ、延岡の理事長さんが「シルバーは大工さんと一緒だよ。そのように勉強させたら。大工は全部自分の道具で仕事に行くでしょう」とおっしゃいました。「なるほど」と思い、現在もわたしはときどきその話をしています。串間市シルバーも設立以来、事務局を始め市民各位の節大なるご支援、ご協力をいただき20年の節目の年を迎えることができました。紙面をおかりして心から感謝を申し上げます。今後とも、ご支援のほどよろしくお願いします。ボランティア活動のこと自治会長を7年務めさせていただきました。ゴミの回収が始まるときで初回の回収日、分別ができておらず百野氏の加勢をもらいました。袋を買って来てやっと分別をし、市役所に再度回収のお願いをしたことが一番の思い出です。また、リサイクルも始まり、営林署の山の一部をお借りできないかと市役所へ相談。後日、許可が出て増田工業会長から整地してもらい、小屋を作りました。回収のカゴは持ち回りということで雨のときは砂で汚れると思い、セメントを薄く流してもらいました。傾斜がついているので、雨水もたまらず最高のリサイクル場となりました。また、無人駅(福島今町駅)の清掃も14年間やりました。あるときは、地区の民生児童委員の先輩が来て「前任の交通指導員さんがケガのため退職されるので後任を探してくれと頼まれた」と言いました。2人で話す中で「おれが一時でも加勢しようか」と引き受けたのが平成9年12月1日でした。以来14年間、有明小学校前で子どもたちと元気な声であいさつを交わしながら学校へ送ります。昨年11月には交通安全功労者として市内から個人では小生が、学校では有明小学校が県知事表彰を受けました。いろいろ書きましたが、どれもボランティアだと考えています。23 Kushima City Public Relations, 2012.5, Japan