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概要

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飫肥の地名は、承平年間(九三一?九三八)に編さんされた「和名類聚抄」に、すでにその名がみられます。飫肥藩が伊東氏の所領となったのは、伊東家第十九代祐兵が天正十五年(一五八七)、豊臣秀吉の島津征討で道案内役として功を成し、飫肥を領土として与えられてからです。これ以後、飫肥城下町は江戸時代を通じて、飫肥藩伊東家五万一千石の中心地として栄えました。城下町は、飫肥城周辺に上級家臣、中級家臣の屋敷地、続いて商人町と下級家臣の屋敷地と配置され、現在も往時の歴史的景観をよくとどめています。城下町の中でも、飫肥城を中心とした約一九・八ヘクタールの範囲は、九州で最初の重要伝統的建造物群保存地区として、国の選定を受けました。中心をなす飫肥城大手門は、昭和五十三年、飫肥城復元事業により、樹齢百年以上の飫肥杉を使用し、釘を一切使わないで復元されたものです。門をくぐると江戸時代初期の書院造りで、昭和五十四年に復元された松尾の丸や、歴史資料館があります。明治二年、藩知事になった伊東祐帰が城内より移り住んだ屋敷で、主屋は六部屋あり、かつては茅葺きでした。屋敷の入口は薬医門で、両側に源氏塀を構えた旧藩主家にふさわしい造りとなっています。飫肥の庭の中でも最も広い庭園は、枯山水で名園としてその美しさが知られています。昭和五十八年十月一日、市の文化財(建造物・名勝)に指定されました。飫肥は、石垣の美しい町としても知られています。飫肥城を中心として、武家古色ゆかしい石垣に囲まれた武家屋敷、白壁のある商店街。?江戸時代の佇まいをそこかしこに残す風情ある城下町です。?◎重要伝統的建造物群保存地区◎日本百名城◎美しい日本の歴史的風土百選◎第十三回「優秀観光地づくり賞」金賞総務大臣賞飫肥城下町百選?飫肥の歴史豫章館と庭園豫章館庭園豫章館飫肥城大手門は、昭和53年、飫肥城復元事業により、樹齢100年以上の飫肥杉を使用して復元されました。大手門わみょうるいじゅしょうすけたけてんしょうすけよりNICHINAN 6