ブックタイトルm21_20120514140203_shiseiyouran
- ページ
- 14/66
このページは m21_20120514140203_shiseiyouran の電子ブックに掲載されている14ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは m21_20120514140203_shiseiyouran の電子ブックに掲載されている14ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
m21_20120514140203_shiseiyouran
その昔、いにしえ人が通った道飫肥街道を行く?「歴史の道百選」に選ばれている飫肥街道は、天正十五年(一五八七)、飫肥藩初代藩主である伊東祐兵により飫肥から清武を結ぶ街道として、全線が整備されたと伝えられています。当時の面影を残しつつ、現在も県道宮崎・北郷線とほぼ同じルートで、飫肥城下から山仮屋の峠を経由して椿山森林公園のある双石山、鏡洲、清武を結んでいます。当時は、飫肥藩の主要街道で、飫肥城下町から北郷を経由して清武までの道程を、参勤交代や、庶民の物資の流通に使われました。山間部の道はほぼ当時のままの状態で残っている貴重な街道です。街道のほぼ中間地点の「山仮屋」には藩の番所の仮屋があり、現在もその関所跡があります。街道は明治になると整備され、明治二十五年には県内初のトンネル、山仮屋隧道もできました。昭和初期に日南海岸沿いの国道が整備されるまでは、日南と宮崎を結ぶ重要な道路でした。峠を越え、細い道を行き、関所を通り、山並みを眺めながらほっと一息つく。昔の人々の息づかいを感じる…。そんな想いに駆られる飫肥街道です。飫肥藩番所の関所跡飫肥街道◎歴史の道百選百選?すけたけNICHINAN 14