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概要

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筆38回『ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール宮水小学校(奇藤亮一校長.96人)の6年生橋本将憲君(平底)の作文が、第38回「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクール(JA全国中央会など主催)の作文部門で、全国から約5万6千点の応募の中から最高賞に当たる内閣総理大臣賞(1点)に選ばれました。この作文は夏休みの課題として取り組んだもので、最初は書き出しが思い浮かばず泣いて苦労しましたが、祖父母の米作りの苦労や昔の水田の歴史、食べ物の大切さなどを書き込み、家族の励ましもあり約40日かげて完成しました。将莱は、「日之影で農業をしながら陸上選手として頑張りたい」と夢を持つ将憲君。1月10日に東京都で行われた表彰式には、家族と一緒に出席しました。くり返します。ぼくの住の時期その作業を一晩中れる作業があります。こげて下の田んぼに水を入になったら、石や板を上の田んぼに水がいっぱい段々になっています。上りません。斜面にそっては.広い田んぼでは、あいからです。家の田んぼ夜中にしかまわってこなす。それは、用水の水がの水まわしに行っていま毎晩夜中の三時ごろに日五、六、七月の三ヶ月間。ます。田植えが終わって、とばあちゃんに声をかけとぼくは、じいちゃんゃん大じょぶ。」「じいちゃん、ばあち橋本将憲君「一つぶの重さ」なの考えがまとまったそに用水路を作ろうとみんおよそ百年ほど前、七折明治三十三年、今からです.しい生活をしていたそうではなかったので大変苦た。毎日の飲み水も十分引いて、利用していましの小さな川の水を細々とに使う水は、山と山の間らです。わずかにある田田に引く水がなかったかあるため、田を作るにも土地がたいへん高い所にいるだけでした。それは、ちらこちらにちらばってです。わずかな田が、あはほとんどなかったそうむかしは、畑ばかりで田た田が続いていますが、町内には、よく開かれす。の水が流れてくるからでら、田植えができるだけ事でもあります。なぜなでも、とてもありがたいす。とても不便な事です。にしか水が来ないからでんでいる平底には、夜中に集まってくる鳥やイタ謝する気持ちと、おはかた物です。ご先祖様に感ハスガラをきざんでまぜ子とは生のお米となすや供えするものです。水の日に送って行くときにおお迎えに行く時と、十五した。十三日に精霊様をいう物をおはかに供えま今年のお盆も水の子とがんばります。だけど今年も一生けん命暑い中、同じ作業で大変だっこくを手伝います。は、いねかりやかけぼし、しでも助けようと、秋にちゃん、ばあちゃんを少して作るお米。毎日じいそれだけ大変な思いをためて思いました。夜中になるんだなとあらので、平底にくるのは、長いきょりを流れてくる七折用水です。それだけ来上がりました。それがも有名な長い用水路が出にもおよぶ、日本全国で年、三十四キロメートルうです。それから約三十さを実感しています。しかし、その一つぶの重とても小さい一つぶ。く感じています。ぶ一つぶの大切さをすご今は別の意味でその一つ食べていました。でも、を一生けん命かき集めてうに茶わんについたお米だから、しかられないよ返し言われてきました。ゃることをくり返しくり中に神様が七人いらっしころからお米の一つぶのぼく達兄弟は、小さいなと思いました。いでいく事にもなるのか一つぶ一つぶが命をつなを聞いてぼくは、お米のえてもらいました。それることをばあちゃんに教あたえるという意味があチなどにも食べ物を分け