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概要

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坂本琉真くん【平成23年7月4日生まれ】(崎の原住宅]善行さん・美保さんの次男甲斐美羽ちゃん【平成23年7月14日生まれ】〔高巣野)裕基さん・由美さんの次女町史編集事業⌒日之影町史1から11巻)で、それぞれの分野にわたり詳しくまとめてありますが、刊行されている町史の内容も含め、紙面の都合上掲載されなかったものを連載していきます.大人大人は古くから、旧岩井、川村のに政治・経済:文化の中心地として栄え、特に明治時代になると戸長役場・小学校があり医院(眼科)もあった。住民の生業はさまざまであったが農林業が中心であった。日大人小学校跡正門昭和二十年の統計によれば八十一世帯で人ロ五一八人であったが、平成二十二年四月の統計では、百十三・戸三百三人の集落になっている.特に世帯数の増加が目立っている。地先月号で地名の由来、神社等については紹介にしたので今回は、先月号で紹介できなかったものを紹介したい。線刻六地蔵鐘大人神に社右側に立っている六角形の石塔は六面に線刻の地蔵尊が見られる。残念なことに建立者、年代が不詳であるが材質・線刻の技術などを見るとかなり有力者の建立と思われる。土人には石塔・石仏など多く見られるが、土人上の道上にある茶屋(堂)には不動明王外十二体の石仏が見られ、茶屋左側には"奉還新四国八拾八カ所金剛遍照塔"つヘニるね文久卯申子の刻字が見られる石塔がある。文久卯申子は元治元年?(一八六四]にに当たり今から一四七年前になる。その外にも旧道大人Wロには馬頭観音など四体、経商会前の祠堂には十一面観音外十体の石仏が見られ、集落全体として見るならば百体以上の石仏が見られ、集落の方々の信仰心の深さを見ることができる。大人上茶屋(堂〕道標大人上の集集落外れに「是より右わけ志よ・うなまみち産みやみず・口口口口みち」の刻字が見られ文久年・間に建てられたと思われる道標がある.大人神社前に川中翁の顕彰碑見られ、川中翁は岩井川村役場書記から収入役・助役・村長を勤め後に県会議員、その外にの役職に就きその中でも大人耕地整理組合長として、追川に水源を求める用水路の開削に尽力され、現在の大人水田稲作の基盤を作られた貢献に対し、翁の五十年忌に当たる昭和六十一年に十二月に大人地区民一同感謝の念を込めて建立されている。川中翁顕彰御坂神作田野上方にあるを板碑で工商さ一七〇センチ幅二五センチ、高さ四五センチで刻字のある板碑としては町内最大のものと思われる。建立の由来にっいてははっきりしないが、銘文から甲斐・家構に関係する板板碑ではないかと思われる。碑の右側に文禄臥α杷中央にえんかんは指館月済溝口大禅定門神儀左側に正月十八日とある。土人上にある宗構の墓碑にも文禄四年乙末とある。土禅定門とはその地区の支配者に贈られる号で文禄四乙未地の碑がニカ所の石碑にあることは、家構に関する板碑。仁田野の板碑にしても宗構の文字を使っていないところは、高橋元種への配慮があったのかも知れない。大人には、大人上水記念碑地、土人用水団体営かんがい記念碑、大人疎水記念碑や県指定の巨樹百選三本、町指定保存木三本がある。巨樹百選*文禄四年(一五九五年)四一七年前詳しいことは「町史資料編・村の歴史」を見ていただきたい。(執筆者)町文化財専門員小谷賓男