ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

m19_20120405204539_kou23_12

橋本侑樹くん【平成23年2月24日生まれ】(末市]雅嗣さん・千草さんの長男橋本和樹くん【平成23年2月24日生まれ】⌒末市)雅嗣さん・千草さんの次男町史編集事業(日之影町史1から1巻]で、それぞれの分野にわたり詳しくまとめてありますが、刊行されている町史の内容も含め、紙面の都合上掲載されなかったものを連載していきます。八戸2先月号64では、八戸上を中心に紹介したので、今月号では八戸下(本通り)を中心に主なことを紹介したい.八戸本通り先月号で紹介したように本通りは大正初期から中期にかけて県道(旧国道]が開通して徐々に人家や商店も多くなり、東西日之影に次ぐ町南の日之影入ロとして発展した。その中にあって昭和三十六年二月九日に四十一戸全焼、一七一人の罹災者を出す大火があった。昭和十四年に国鉄日の影線が開通し、「ひゅうがやと駅?ができ、八戸地区を含め、この駅を利用する人々や物資の交流も盛んになり、八戸本通りは発展していった.ちなみに昭和二十四年の駅の記録によれば、年間の乗車人員三0七九人、降車人員三一四七人となっている。その後鉄道は民営化されたが、廃止され八戸駅の使命は終わり、看板と線路敷の後のみが残っている。ひゅうが八戸駅駅舎跡に昭和六十二年に八戸濃業構造改善センター(謹めしカん明館)が建てられ、この地区の各種行事に利用されている。本通りには町南の中心地であった関係各種の機関、役場支所・警察の駐在所などが設置されていたが、多くが廃止された。なかでも八戸郵便局は大正八年に新町から移転したもので公共施設では最古のものである。また医療機関として昭和七年に有田医院が開業されたが、昭和五十七年に閉鎖された。昭和十年七月に甲斐歯科医院が開業された。八戸観音本通り外にれに、昌龍寺の十世法田長昌住職が文政六年・(一八二二)雨乞の霊場として聖観世音菩薩像を安置し観音堂と呼ばれるようになった。この外に如意輪観音、子安観音も安置され、安産・子育ての祈願を込めて参拝される人ばくふが多い。宮田百景名勝潔布(瀧)御泊川の水を落とす高さ四十一メートルの観音滝がある。八戸観音滝八戸観音滝標示板トモんでいダム堰堤の近くに正一位稲荷大明神の祀殿旧八戸駅下の旧国道沿に薬師如来・昭和二十年八月八戸婦人会の刻字が見られる弘法大師像がある。ダム湖を渡る吾味の鉄道橋は、国の土木遺産に認定されている。吾味の旧鉄道橋ダム湖や旧鉄道線路跡を利用した観光遊覧施設(リバーパーク]も作られシーズン期間中は利用客も多く賑わっている.遊覧ボート*文政六年(一八二ニ)今から一八九前詳しいことは「町史資料編・村の歴史」を見ていただきたい。(執筆青)町文化財専門員小谷貴男