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概要

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落合亜香里ちゃん【平成2年6月9日生まれ】(稲荷町)和彦さん・裕子さんの次女岩本莉々杏ちゃん【平成21年12月1日生まれ】(平底団地)孝行さん・真琴さんの長女町史編集事業(日之影町史1から11巻)で、それぞれの分野にわたり詳しくまとめてありますが、刊行されている町史の内容も含め、紙面の都合上掲載されなかったものを連載していきます。梁崎は日之影町と延岡市北方町の境界を流れる綱の瀬川の河ロにある集落で地名の由来は定かではないが、綱の瀬川については次のように伝えられている。みけいりの神代の時代(大昔)三毛人群鬼八退治に御東征から帰られる時、大雨が降って大洪水になり渡られなくなり、川に大綱を張って軍兵を、渡したと言うのでこの名が付けられたと言う。昭和三十五年の統計によれば世帯数二十二戸人ロ八十一人の集落であったが、平成二十二年の統計によれば、世帯数二十一・戸人口ニ十人の集落になっている。この集落は、大正時代頃から県道の開通、昭和初期の国鉄の開通、槙峰鉱山(銅)の隆盛と共に発展した集落である。近年になって槙峰鉱山の閉山、国道ニ一八号バイパスの開通、鉄道の廃止などによって住民も少なくなっていったもともと地名は梁崎であるので駅名も梁崎と言うのが。普通であると思うが、槙峰駅と言うのは、如何に槙峰鉱山が有名であったかが伺える,槙峰鉱山で煙害のため鉱山で精錬が出来なくなった鉱石は、この駅から貨車で細島まで運ばれ、そこから舟で瀬戸内海の直島精錬所の方へ運ばれた.住民の生業以前は鉱山・鉄道・運送等に従事する人が多かったが、現在は各種の職業に従事している人が多い。集落の高台に、創立は定かではないが菅原道真公を祀る梁崎神社がある。八戸にダムが出来るまで七折側から大山集落に、渡るには、、渡し舟を利用していたが、昭和二十五年に吊り橋がかけられ、さらに昭和三十五年に現在の鉄橋が架けられ便利になった。綱の瀬川河ロ右岸に梁崎発電所がある。明治三十八年に槙峰鉱山によって作られたが、現在は旭化成の所有になっている。梁崎は水便に恵まれず水道施設が容易ではなかったが対岸の大山区の-日の谷」に水源を求め、水槽を設置し、五ヶ瀬川をケーブル式にしたパイプで水量が豊富と水槽が高位置にあるので水圧が高く集落上部の住宅にも充分に供給されている。旧駅舎横に弘法大師石像もみられる。詳しいことはー町史資料編・村の歴史」を見ていただきたい。(執筆者)町文化財専門員小谷賓男