ブックタイトルm16_20120419155548_kadogawa_k_h2312

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概要

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臼太鼓踊り今回は、「東臼杵郡門川町郷社門川神社特殊神事」という資料から臼太鼓踊りについて紹介します。この資料は、前回紹介した昭和16年に宮崎県学務部が行った「特殊神事に関する照会」の際に提出された文書です。臼太鼓踊りが奉納される神事は、当時は12月4日に行われていました。当日は、神職が愛宕神社で午前2時に一番太鼓、4時に二番太鼓、6時に三番太鼓を打ち、それを受けて假屋迫組が締太鼓を打つと次々に本村組、土橋組、小園組というように太鼓を打って第65回氏子に知らせました。三番太鼓がすむと三番叟の服装をした子ども3人がお庭踏みの式を行います。これは本村組と假屋迫組が毎年交代で行っていました。午前9時ごろ祭典がはじまり、臼太鼓は道鉦を打ちながら土橋の弁財天神社の前まで来て止まり、唐団扇(トウチワ)を背負った者2名が田んぼに降りて代表して踊って上がってから、道鉦を打ちかえて威勢よく進み門川神社に到着します。はじめに三番神楽を奉納してから臼太鼓が行われます。「塩屋」という城を打ち破る踊りを勇ましく、一番庭、二番庭まで行います。そのあとで小踊(もしくは子踊)といって、氏子中の学童が4、5名で花笠をつけて太鼓、鼓の歌方の歌に合わせて優美な踊りがありました。今は、この小踊は行われていません。資料には、祭りを行う資金調達のために狂言田、小踊田、臼太鼓田という田畑があり、昭和16年ごろには、まだその名が残っていたことなどが記述されています。古文書を読む※はを繰り返し神もうれしく思すらん我立寄らばはらひ給ひなわれたち寄らばはらほろはらと出づる誰が願ひも叶えんを神の鳥居を通りては罪も思いも消えぬらん「小踊の謡」神の御遊びおもしろや主殿の城は島津殿ひいてもののようきには竹島口は龍蔵寺釜山海は加藤殿たいかう様の御意とて高麗入るとおふれある終りの庭神のお遊び面白や瀬高の塩女はよもすてぬひいてものの陽気にはせたかの殿御はそれを見て弓やゆがきはすてるとも胸には扇と秋の鹿すそには柳の内みだれ塩女さまのおかたびらかたには銀鳥籠のとり一には千代女ニに徳女三にはせたかの塩女さませたかの町には茶屋が立つ茶屋のふり立たれ_か塩屋ぶし「臼太鼓謡」拝し奉る元の社に御直り候へヤーハーヤハラ目出たやなかかる折柄末社臣と勅使をも庭をも清め庭の景まいかいに帰らうと存じ候某は社人にて候當社の若き者共笹の葉にて「御庭踏の謡」?資料より謡について抜粋して掲載?勝蓮寺の天井画第48回不明インゲンマメ広報12月14