ブックタイトルm14_20120704145325_morotuka_k_h2403

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概要

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とう蕗の蔓三月の暦によると、二十けいちつ四節の中の一つに、啓蟄というのがあって、冬眠していた虫達が陽気の温かとなるにつれて穴から這い出ているの意味だそうですが、陰暦では二月の節、太陽の黄経が三四五度の時をいい(何のことかわからん)、太陽暦では三月の五、六日になるという。ただ実際にこの時期より穴から出てくる虫は少し寝ぼけた虫か、よほど暖かい地方の話ではないのか…と思うのですが、春を待つ人の心はまさにその通りだと思います。「春」三月も下旬の頃になると、小学校から大学に至るまで、一斉に卒業式が行われます。昔の卒業式は、卒業生がうやうやしく卒業証書をもらい、その歓びと感傷をこめて、「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌うのが式の大筋でありました。こういった式の流れや歌はいつ頃から始まったか知る術がないんですが、少なくとも二十年も同じ流れが続いたんじゃないかと思います。中国しゃいんの偉人が車胤という人は貧乏で灯油が買えず袋に螢を集めて書を読み、孫康という人は雪明かりで書を読んだという故事にあやかり、けいせつ螢雪という言葉が生まれたということですので「蛍の光、窓の雪」のうたはここから生まれたのかな…と勝手に決めているところです。(間違っていたら教えてください。)今なら云えることですが、螢の光の歌の中ににいつしか年も過ぎの違う」というのを私はに蕗の墓」と物心つく頃までそう思っていました。それは三月のことで季節感が合うことと、六kmの通学路の中では蕗の墓は随所で見られる風景であったから早とちりをしたんだろうと自分を慰めているところです。元々、特に低学年の頃は歌の意味なんてものは全くわかってなく、ただ大きな声で歌えば良かったわけであります。それにしても「螢の光」でも「仰げば尊し」にしてよくもまあ…こんな歌が出来たものだと、感心させられます。さて、近年大きな社会の変革により、特に戦中、戦後生まれのすみ分けが極端に進み、国土に関することを始め、文化、社会生活様式など、昔を継承することがだんだんと難しくなって来ていることは現実の問題であります。例えば子供を育てることでも同じことなのですが、ただ現実の流れに総てを委ねて行くだけで国の将来を担う子供連が健全に育っていくかということについては、社会的に反省すべき点もあるんじゃないか?…魚釣りをはじめとした川遊び、木登り、火おこし、ナイフや包丁使いなど、体験させたいと思っても「危ない」「時間がない」…と子供連をそれらのことから、だんだんと遠ざけている向があるのではないだろうか?次のような考え方もあるようです。子供達がはつらつとして輝くのは遊びの中に設定した課題に、何の邪心もなく仲間同志が真正面からそれに挑戦しているからではないか…。成功もあれば失敗もするが、それは共有する仲間がいるから、後に自信や生きる力につながっていくのではないか:・に危険」を自分で判断できるようになると、想像力や新しい発想につながるのではないか・新しい発想は思考と試行錯誤の中から生まれるもので、色々な体験の積み重ねが子供連に自信や適応力と粘り強さを身につけさせると言うことですが、どうでしょうか。