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概要

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「教科書の歴史から見た木城町」7アカホヤ火山灰について今回は、予定を変更し、縄文時代に噴火した火山灰の話をしたいと思います。昨年の三月十一日に発生した東日本大震災から一年が経過しました。現在も発見されていない多くの行方不明者や、仮設住宅において生活する被災者がいる状況であります。あの大震災からの復興は、被災者だけの問題でなく、日本全体で共有していく大きな課題であることは言うまでもありません。歴史を振り返ると、今回の大震災のみならず、いつの時代もこの自然災害の問題と向き合って、人間は力強く生き抜いてきました。そこで今回は、縄文時代のアカホヤ火山灰の話をしたいと思います。このアカホヤ火山灰は、今から約七三〇〇年前の縄文時代に薩摩半島の南方の海中にある鬼界カルデラから噴出した火山噴出物であり、研究者の間ではこの時代の噴火では最大規模なものであったと言われています。この火山灰には、特徴的な淡い褐色の平板状の火山ガラスが含まれており、発掘調査においては、宮崎県を含む南九州では当然地層として厚く堆積されていることが多く確認されます。そして最も遠い場所は、東北地方でも見られることがあり、恐らく噴火した時に偏西風で到達したものと思われます。そして、最近では日本の縄文時代に該当する韓国の済州島の遺跡の土層からも見つかり、その広がった範囲からして、当時の噴火の凄まじさを理解することが出来ます。南九州では、鹿児島県と宮崎県の県境に霧島火山があり、二〇を越える小火山で構成されており、昨年も噴火をし、火山灰の堆積の状況は記憶に新しいところであります。七三〇〇年前にこのアカホヤ火山灰が噴出したことにより、二次災害として地震や津波なども発生したことが考えられますが、これらについては、今後の発掘調査などにおいて具体的に知ることが出来ると思います。発掘調査の基本は、地面を掘り下げる時に地層の変化を的確に知ることであります。南九州における地層では、このアカホヤ火山灰の堆積が見られることが多く、この堆積層より下の層は縄文時代の古い時期、もしくはそれ以前の旧石器時代、上の層は縄文時代の後の時期、もしくはそれ以降の弥生時代以後の時代と時期を知る鍵を握る地層となります。その層から見つかる土器や遺物、生活跡などにより、当時の生活の姿を考古学的な目線でリアルに知ることが出来ます。いずれにせよこのアカホヤ火山灰の噴火により、森林植生の破壊などがあり、当時の縄文時代の人々の生活に多大な影響を与えたことが考えられます。自然に寄り添い、気候の変化に応じて来た彼らにとって、この予期せぬ大災害は大きなダメージとなり、多大な犠牲者も出たことと予想されます。しかし、その(参考文献)後の自然環境の回復と生きる力を備えた縄文時代の人々のバイタリティにより、再び縄文文化は栄えることになります。このことは、県内の発掘調査の事例を見ても確かなことであります。縄文時代の人々の生きた証は明日の日本の復興の責務を担う我々現代人にとっての大きなヒントになるような気がしてなりません。歴史を知って未来を見通すことが私達の大事な観点になることでしょう。(教育課白岩修)12宮崎県史通史編原始・古代1」一九九八年12アカホヤ火山灰に関する研究の成果と課題」水ノ江和同「南九州縄文通信」恥8一九九四年12アカホヤ噴火時の火山災害の諸相」成尾英仁12南九州縄文通信」M13一九九九年12火山灰と南九州の縄文文化」新東晃一「南九州縄文研究」第1集一九九三年