ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

m08_201406230000_tsuno_k_h2606

東南海地震に備えよう平野有信(兵庫県西宮市在住/立野出身)近い将来起こるとされている東南海地震、これに伴い都農町も少なからず影響を受けることは間違いありません。そこで阪神淡路大震災を体験し、また先の東日本大震災後現地を訪ねた検分から東南海地震への備えの参考にしていただければ嬉しく思います。その準備として、1命を守る準備2家を守る準備3震災直後の一週間の生活への準備の3点絞って話を進めたいと思いますま。ず一番目の最も大切な命を守る準備、これは都農町が行う防災訓練に必ず参加していただきたいと思います。それができない場合は、自ら災害をシミュレーションし、どのようにどこへ逃げるのか決め、実際に訓練しておくことが重要です。大きな災害に遭遇した時、おおかたの人は思考力が働かず正常な判断ができなくなります。そこで災害を想定した訓練を行っていれば迷うことなく即座に行動を起こし、命を守ることができると思います。訓練がいかに重要かその例を二つ紹介します。一つ目は東日本大震災で起こった出来事です。60人ほどの小学校では、度々津波に対する避難訓練を行っていました。逃げる際は上級生か下級生の手を引き、そのペアも決めていたそうです。逃げる場所は先生がその時の状況を判断して決めることにしていたそうです。学校は2階建てですが、屋上がありそこへ逃げる事も可能です。また学校の裏には小高い山があり、大きな津波が来るようであれば山へと決めていたそうです。地震の大きさから教師一同で山へと決め、その間に上級生は下級生のもとに駆けつけ、間髪入れずに慌てることなく山へと走りだし、一人の犠牲者も出さずに済んだそうです。山の中腹から学校の屋上が波に洗われるのを見て、訓練していて良かったと実感し涙が止まらなかったそうです。もう一つの例えは阪神淡路大震災のわが社での出来事です。300店舗の集まる西宮市最大の西宮中央商店街に15坪ほどの店舗を借り内装を始めてみると、建物の骨格が古材を使用したものでした。聞くところによると、先の第2次世界大戦で丸焼けになった西宮中央商店街は、戦後間もなく資材の無かった時代いち早く復興し、やむなく古材使用となったとのことでした。1階を売店、2階を作業場に予定していたところ、このままでは総重量3トンにも及ぶ什器類に建物が耐え切れないと判断して耐震に備えての補強を行ないました。それでも心配は拭いきれなかったので、地震の際の避難訓練を年に2度行なっていました。それを見ていた近所の長老たちは、「神戸には地震は起こらない、地震が来たら機械の重みで店がつぶれてしまう、逃げるどころではない」と笑っていました。しかし1月17日午前5時46分地震は発生し、我々は間髪入れずに訓練どおりの行動をとりました。建物からの脱出、水道の元栓閉鎖、電気、ガスのブレーカー切断の確認、出勤している留守家族の安否の確認、出勤していない社員の安否の確認、安否の確認の取れない社員へは被害に遭っていると想定して手分けして救出に向かい、わずか1時間後には家の下敷きになっていた社員を含めて全員大きな怪我も無く救出する事ができました。ただ残念な事は、周りに多くの犠牲者を出してしまった事です。地震が発生して約30分間は、犬の子1匹通らぬ静寂の世界でした。30分経った頃からぽっぽつと人影が見られ大騒ぎになったのは1時間くらい経ってからのことです。恐ろしくて布団から出られなかったとの事です。この時全員が災害訓練を行なっていれば即座に行動を起こすことができ、8000有余の犠牲者を出さずに済んだのではないかと悔やまれます。都農町では東南海地震の際には、安全な地域の方々が危険な区域の方々の脱出をいかにサポートするかを今から決めて訓練し、そのときに速やかに対処し、一人の犠牲者も出さない事を願っています次。に家を守る準備について、皆様方は阪神淡路大震災と東日本大震災の映像を何度か目にしたことと思います。その違いは、阪神淡路大震災の場合は建物の崩壊はありましたが何とか形は残っていました。しかし東日本大震災の場合は根こそぎ波にもっていかれ、家が跡形も無く消えうせていました。その後二つの震災による人々の立ち直りには歴然たる差を感じました。阪神淡路大震災の場今は直後にも関わらず、崩壊した家屋を見てもこれを直していこうとする気迫は失われていませんでした。それに引き換え1年経過して訪れた東日本大震災の被害者の方々は、何もかも跡形もなく失ったために立ち直るすべを感じることができませんでした。家という形の存在の重要性を痛感しました。そこで数少ない残った家を観察して気付いた点は、建物の中に海水を入れなかったことです。その建物は鉄筋3階建ての家屋で、他の家屋と違った点は入り口と窓には全てシヤッターが取り付けてあり、漂流物によるガラスの破損を免れたため海水の浸入を最小限にとどめた結果でした。つまり津波警報が出された時には、昔台風が襲来した場合、雨戸を閉め風の吹き込みを防いで対処したように、同じように津波による漂流物からガラス窓等の破損を防ぐことです。さらにつっかえ棒やロープなどでテントが風に飛ばされない方法を用いて、建物を大地に括り付け補強して津波から守るべきと思います。最後に、災害後3日間は救援の手は届かないと思ってください。その間の食料飲み水の備蓄は当然ですが、水を運ぶポリタンク、底の厚い履物、夜寝る時にはノーバッテリーの自発懐中電灯(ラジオサイレン・携帯充電器)、バスタオル(避難の際頭にかぶって逃げる)、大型ビニールのゴミ袋(新聞紙などを詰めて敷布団に、物干し竿に洗濯ばさみで吊るして目隠しを作り更衣室に、ダンボールにはめ込み水の蓄えや仮設のトイレに、などいろいろと利用価値あり)、それに都農町では飯ごうがあったら便利かと思います。ガスはプロパンがありますがそれが使えなかった場合、薪で煮炊きができると思います。とにかく被災された都農町民は、被災されなかった都農町民で守るという環境と手順を今から準備して、一人の犠牲者も出さぬことを願っています。(同窓会冊子より)