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概要

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column古川ただしの都農の昔のあれやこれや短歌(横好きの域※本人談)二日月原在住。で勤務。都農町史編さんの際に調査・執筆に携わる。趣味は、俳句・【profile】大正12年湯の本生まれ。旭化成入社後は、国内外古川ただしさん彌の話が出てきました。特に感心で、細川さんの話には度々森繁久うな密接な関係がありましたの細川さんと森繁久彌とはこのよ弔電が寄せられていました。の葬儀の際は立派な弔花と丁寧な顔を出していましたし、細川さんに来るたびに細川家にあいさつにして見えていたのかもしれません。からも続き、森繁久彌は延岡公演ると、最も心を許して話せる人とですが、二人の関係は引き揚げて細川さんも森繁久彌の目から見ず。敗戦、内地引き上げとなったの人一倍優れていたのですね。そうこうする間に戦局利あら読む能力とそれに対応する能力が町史編さんに携わった中から、都農町のあれやこれやを少しずつ紹介していさますね。係で接触が多かったようです。は拍手大喝采。その場の雰囲気をせる方と流す方、というような関骨が折れたそうです。しかし観客方とされる方、時には放送を流さに応じなければならないので大変りとしていたといいます。取材する比べると物資も豊かで心もゆった始まっていましたが、満州は内地といたときです。もう太平洋戦争はNHK職員で新京放送局に勤めてが満州国空軍参謀で、森繁久彌が州新京で始まったのです。細川さんますが、実は二人の接触は遠い満が何でと思われる方が多いと思いのあの有名な森繁久彌です。二人細川正尊さんと森繁久彌ない言葉が飛び出し、相手はそれ多く、幕が開くと最初から台本に森重久彌の舞台劇はアドリブがよなーと細川さん。かったが、彼が話すと妙に通づっとていた。片言のロシア語しかできなき、時には土産まで貰って帰ってきは平気でソ連占領地域に遊びに行うに隠れて暮らしているのに、彼誰もがソ連兵に見つからないよ細川さん。森繁久彌とは説明無用の森繁久彌の行動です。細川正尊さんとは、前同記述のして語られた事は、ソ連占頷下でTeals Tea TimeTeal Mie Imadaティールミェイマダ)【profile】】ハワイ出身の日系4世。日本生活9年。平成22年4月から都農町のALT。食べることや旅行が好き。駅前。先日、素晴らしい出会いがあり素敵な時間を過ごしました。メアリー・やよい・ティプトンさんが都農に帰ってきたのです。メアリーさんはカナダ生まれの都農育ち。そして現在、50年以上アメリカに住んでいます。彼女は20歳の心を持つ90歳。まわりの皆を笑顔にし、誰とてもすぐに仲良くなれる人です。メアリーさんは都農に住んでいる姉妹や家族に会いに、今回アメリカ人の娘や孫と一緒にやってきたのです。言葉の壁にもかかわらず、この大家族はよく笑い楽しい時間を過ごして、時を取り戻すとともに新たな思い出を作っていました。私はこの家族の中にある大きな愛情を、そしてそれは住んでいる国が海を隔てて遠く離れていても全く問題ないことなのだということを確信しました。事実、違う文化を持っているということで、彼女たちはより豊かな人生をおくっているのです。この家族は、いつでも滞在でさる外国があり、逆にメアリーさんの家族は日本に滞在できる家があるのです。彼女たちはそれぞれ、違う文化について多くを学び、視野を広げ自分の町以外の広い世界への理解を深めることができます。何が言いたいかというと、もし外国人と出会う機会があったらそのチャンスを生かしてほしいということです。言葉が違うことを心配して臆病にならないでください。その人やその人の国について知ってほしいと思います。新しい世界が広がるかもしれないし、一生涯の友ができるかもしれませんよ。メアリーさんについては、日本でもテキサスでもいいから、もう一度会いたいと思っています。彼女の興味深く楽しい家族との出会いに感謝していますし、みんなにまたすぐ会いたいです。