ブックタイトルm08_201301120154_tuno_k_1301
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最高のスタッフに恵まれたPJA尾鈴:畜産課黒木秀一さん(41歳川南町)勝負事はおぜたら(怖がったら}ダメ。自信を持ったこと、そして役場、畜連、JAでいい関係がつくれていたことが結果につながりました。緊張をほぐすためにバカを言ったりと、会場でも笑顔があふれたことが良かった。決定後、みんなで大声を上げて泣いてしまいました。笑顔も涙もいっぱい一最高のスタッフで最高の舞台でした。この感激をもう一度.宮崎牛三連覇に向けて頑張リます。この経験を次につなげていくこんなにうれしかったことは今までそんなにないです。全共の場で復興をアピールしたい、ロ蹄疫のときの感謝の気持ちを伝えたいというみんなの共通の思いがありました。津さんが「最後かもしれん」と言ったことも自分にとって大きく、頑張りたいと思いました。手入れなどを教えても児湯地域家畜市場らって自分の勉強にもなりました。河野佳人さん今回の経験を児湯全体の若い後継{31歳あけぼの団地〕者にも伝えていければと思います。「一人じゃ絶対できんこと.みんなのおかげ」.永友さんは、あい古つの場で必ず「皆さんの協力があったからこそ代表になれた」と感謝し頭を下げる。膝の痛い永友さんに変わって毎日駆け付け手伝ってくれた仲間。そっと背中を押し見守ってくれた家族。応援してくれた同級生やまちの人たち。プレッシャーと闘う永友さんを支えたのは、それまで永友さんが大切にしてきた「つながり」だ。持ちでした」。た。有終の美を飾らせてあげたいという気はこれで終わり、と整理をつけさせたかっ一度トライしてチャンピオンになって全共した.だから、長崎までは是が非でももうなった娘も納得していないだろうと思いまめていたと思います。結果、優等2席。亡くときに首席を取れていたら、もう挑戦はや「父も私も全共どころじゃなかった。あの行っていた.一みや連休などはよく永友さん宅に遊びにすぐに話せる子だったという茜さん。夏休さんが亡くなってしまった。賢く、誰とでもその大会の半年前に、泉さんの長女・茜んと。と言ていたんです。もうなごうはようせ「前回の第9回大会で父は最後にするの言葉が永友さんの背中を押した.かれていた。「長崎は茜との約束の場所」。こ泉さんからの年賀状に短いメッセージが書平成24年1月、永友さんに届いた長男・「長崎は茜との約束の場所」返した,ね、良かったね,おめでとう」と何度も繰り手.チトエさんは涙を拭きながら「良かったは妻・チトエさんを見つけるとしっかり握その後、控え牛舎に帰ってきた永友さんなって最高です一と目を潤ませた。のを見てたまらんかった。孫との約束がかょったっちゃけん、息子が涙を浮か式ちょるた,永友さんは「今日は涙は流さんと思っちこらえていた思いがあふれでてきて号泣し間、すぐそばで父親を見つめていた。今までいてサポートしていた泉さんは、決定の瞬永友さんと共に入場し、審査中一緒には言わずにいつも後押しをしていました」。ると言ったら絶対する、母は、否定することポートしてきた.父は信念があります。す員として、息子としてずっと永友さんをサに行っていた泉さん。児湯地域家畜山場職小さい頃から父と一緒に子牛の競りを見永友泉さん(44歳高船町}