ブックタイトルm06_20120811174849_nishimera_k_h2407

ページ
3/8

このページは m06_20120811174849_nishimera_k_h2407 の電子ブックに掲載されている3ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

m06_20120811174849_nishimera_k_h2407

なります。郷愁誘う昔の記事しずつ紙面に出てくるように場。この頃から村民の顔が少前)です!!」のコーナーが登を紹介する「ハイ○○係の(名んなの広場」や、毎号村職員村内赤ちゃんコンクール昭和33年11月10日(第23)号西米良公民館で西都保健所、西米良村主催で行われた西米良地区赤ちゃんコンクールで、晶子ちゃん、今朝文君が入賞しました。小川にへき地保育所を開設村民の皆さんが登場する「み昭和45年6月1日(第71)号村はへき地の幼児保育と幼児のいる家庭の労力不足の解消に少しでも役立たせようと、小川に保育所を開設しました。事務、技術両面を見事にこなしながら、第一線を行くすばらしいコンビではないかと思う。作業道のことなど気軽に相談してください。※当時の文面をそのまま載せています。ハイ林業基盤整備係の敬介・朗です!!昭和58年8月5日(第178)号なりました。連載企画として入れられ、より親しみやすくなり紙面にもイラストが取り紙には必ず写真が入るように事業が報告されています。表など、時代の流れを反映した校給食開始や公共施1972(昭和設47)の年建の設学く「地方自治」の重要性や選越野尾小・横野小の新校舎建地方自治法の施行から間もなた。ダム建設により水没する創刊当初は、日本国憲法や村独自の記事も増えてきましら和は毎46)年月発11月行1とな日(り、第次77)第号にか期発行でしたが、1971(昭が誕生しました。当初は不定やすい紙面に(第9)号に「広956(昭和報31)年に4し月めら20日」より親しみ写真やイラストで貴重な情報源おだより」と名称を変え、1・・・・[昭和47年?平成4年]5(昭和30)年には「西米良重要性伝えるに「村報いちふさ」、195のもこの頃です。地方自治のます。1952(昭和27)年わたって取り上げられている[昭和25年?46年]挙への呼びかけが多数見られ設のあらましなどが複数号にページも始まりましが登場。毎月の特集クター「ほいほい君」村のイメージキャラた。表紙には初めて、ペをー一ジかにら見な直りしまてし123成3813)年)号3で月は1紙日(面第ります。2001(平など、お知らせする幅が広が子育て支援や高齢者福祉対策た。内容も地域の防災対策、の表12月紙(カ第ラ2ー7刷5り)に号なでりはま、し初8ページA4版で登場。翌年1日(第261)号からは、1993(平成5)年4月内容を地域に密着した情報の幅広がり[平成5年?今日]自転車で小川地区の助八重へ取材に行ったこともありますよ入庁2年目の1954(昭和29)年度から通算7年間村報を担当小河富士男さん(おがわふじお)当時は手書きの原稿を西都市内の業者に手渡していました。校正もできないため誤字や脱字は心配でしたよ。取材は自転車で移動していたので1日がかり。砂利道ではよく転んでいましたね。妻(西都市)や高千穂、東京都へ研修に行き広報紙の大切さを学びました。現在の広報紙はカラーで見やすい。今、担当したら面白そうですね。です。着した情報をお届けすることは、村民の皆さんの生活に密すが、今も昔も広報紙の役割「月刊カリコボーズ」に改めま月(第360)号には紙た。2003(平成15)名年を103月刊tlb_=R 7月号