ブックタイトルm04_201407100000_rediscovery
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る。展示されている現状は、ふたの半分が欠損しているが、1500もの重量があ(しゅだま)と呼ばれ、酸化第二鉄を主な成分としている。古代の人にとって”赤は魂の再生を祈る特別な色で、この赤色顔料の塊が朱玉阿蘇凝灰岩製で、内面に朱(ベンガラ)が塗布されている。45、深さ約30の彫りへこみかおる。棺身はきちんと残っており、長さ約2.5、m幅約80高さ約50。内側には、幅約古博物館に展示されている。月に搬出され現在、西都原考平成十六年(2004年)3いる。ていたので、石舟塚と称されて古くから舟形石棺が露出し推定される。築造年代は5世紀前半頃と長は約46m。に位置する前方後円墳で、墳計塚の東南300mの地点石舟塚(いしふねづか)持田15号墳持田34号墳持田27号墳石舟塚の南南東300mの地点で断崖上に位置する。墳長約60mの前方後円墳である。昭和5年(1930年)、盗掘を受けている。副葬品として(金銅製単鳳環頭大刀柄頭(こんどうせいたんほうかんとうたちつかかしら)」が出土しており、「変形四獣鏡(へんけいしじゅうきょう)」も出土したと推定される。築造年代は、5世紀前半から中頃と推定される。石舟塚の東方約130mの地点に位置する。墳径約25mの円墳である。盗掘を受けており正確な記録は残っていないが、発掘に立ち会った関係者の証言からおおよそのことはわかっており、副葬品として「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」が出土している。築造年代は5世紀後半頃と推定される。