ブックタイトルm04_201407100000_rediscovery
- ページ
- 37/94
このページは m04_201407100000_rediscovery の電子ブックに掲載されている37ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは m04_201407100000_rediscovery の電子ブックに掲載されている37ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
m04_201407100000_rediscovery
四国香川県大川郡に生まれる。高鍋に移住、すぐに母親を亡くす。(9歳)町内の文房具店に奉公し出張販売を行う。(13歳)医師往診の車夫として住み込みで働く。(18歳)米穀販売業を営み、商売は繁盛する。(19歳)結婚(23歳)岩岡保吉の足跡四国八十八ヵ所巡礼に出かける。(29歳)宮崎郡清武町の石切り場で、彫刻の材料となる石を購入。(40歳)東光寺(現在の持田)に土地を買い求め、石工を大分から招き八十八ヵ所建設の準備にあたり、小丸川に作業場を設ける。(43歳)東光寺八十八ヵ所が完成、大師堂の建設を始める。(44歳)太平洋戦争による待避壕設営に伴い「行場(ぎょうば)」と呼ばれる地下参拝堂として横穴開削を一人で行う。(52歳)地下参拝堂は全長33間(約65m)石仏を安置。(57歳)に及び33体の自作の妻を亡くす。その後和尚として大師堂に移り住む。(61歳)高鍋大師のシンボル、大型石像の第1号「弘法大師空海修行像」が完成する。(70歳)町長から感謝状が贈られる。(77歳)さまざまな功績が認められ、宮崎県観光協会から表彰される。(87歳)満87歳で亡くなる。法寿院弘覚求道居士高鍋町道具小路西田の上墓地に眠る。