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概要

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中段広場正面石段本丸二の丸長峰門は本丸正面の城内門で、ここから先が本丸となる。城堀の掘削(寛文13年/1673年)から始まった城の本格改修はこの門の落成によって完成した。岩坂門は二の丸正面の城内門で、ここから先が二の丸となる。寛文10年(1670年)に完成した櫓門で、完成当時は筑前秋月の城が「杉本城」と呼ばれていたことから「杉の本門」の名称がついていた。元禄12年(1699年)に「岩坂門」と改められた。本丸政庁藩政時代の藩を治める役所があった場所。政庁には、諸士の集まる大広間、藩主が諸士と会う御書院、家老や奉行が藩政をとりおこなう御家老所、御奉行所などがあった。長峰門を過ぎると本丸の玄関となる。延宝4年(1676年)3代藩主・種信の時に完成している。現在レンガを並べ芝生になっている所が本丸政庁の跡で、大きな石は柱の根石である。明治4年(1871年)7月、廃藩置県により高鍋藩は高鍋県となり、本丸は高鍋県政庁と改められた。明治6年(1873年)宮崎県となると解体された。舞鶴公園で撮影されたこの写真は観光絵葉書としてモデルを使用している。当時としては目新しいものであった。(大正中期)高鍋町歴史総合資料館蔵