ブックタイトルm04_201407100000_rediscovery
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高鍋町歴史総合資料館蔵山名紫川画高鍋城および城下町絵図がら情緒をたっぷり味わいたい!およそ千年の歴史を持つ高鍋城跡を歩きな高鍋城跡をぶらぶら歩き城門3ヵ所の城門はいずれも二層造りの櫓門城堀の内側には南入口の蓑崎門・表門の大手門・北入口の島田門の3ヵ所があり、3代藩主・種信の時、延宝3年(1675年)に完成している。城門を開くのは大手門だけで、それも藩主がいる時だけである。二普段はすべて「くぐり」を開けて使用しており、午前6時に開門し、午後6時に閉門、夜は錠をおろしていた。堀県内で唯一水をたたえる城堀3代藩主・種信が、寛文13年(1963年1月に着工し、2月末には完成させたという突貫工事で、現在もほぼ原形を残している。高鍋城の三の丸外側をめぐる延長530m。要所は石垣になっているが、ほかの所は両側が土手となっている。城堀の内側は土手の上に土塁を築き、白壁の築地塀が巡らされていた。これが鶴の形に見えたことから舞鶴城と呼ばれている。