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概要

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ここに眠る藩主第2代藩主秋月種春第4代藩主秋月種政第5代藩主秋月種弘第8代藩主秋月種徳第9代藩主秋月種任第10代藩主秋月種殷廃仏毀釈により廃寺。伝えられている。まだいし)の仏像かおり、種信が寄進した鐘楼もあったと他に観世音菩薩(かんぜおんばさつ)と達磨大師(だる年)四代藩主・種政(たねまさ)が建立した。本尊は釈迦文仏(しやかもんぶつ)。元禄四年(1692るため、三代藩主・俚信(たねのぶ)が移し建てている。(たねはる)を追善(ついぜん/死者の冥福を祈ること)す万治(まんじ)三年(1660年)に高鍋藩二代藩主・種春秋月氏が豊臣秀吉に敗れ、日向国高鍋に移封された後、市)鳴渡山に創建した「種月山大龍寺」がはじまりである。秋月氏を称して第十三代当主)が筑前秋月(現在の朝倉文明十八年(1486年)筑前・秋月種朝(たねとも/禅宗、臨済宗(りんざいしゅう)の寺院で、山号は慈雲山。大龍寺(だいりゅうじ)・墓地ここに眠る藩主初代藩主第3代藩主第6代藩主第7代藩主秋月種長秋月種信秋月種美秋月種茂廃仏毀釈により廃寺。鐘楼も同時に建立したと伝えられている。のぶ)が寛文二年(1662年)に建立。本尊は釈迦文仏(しやかもんぶつ)で三代藩主・種信(たね(1600年代)年中に建立した。初代藩主・種長(たねなが)が自分の菩提寺として慶長禅宗、臨済宗(りんざいしゅう)の寺院で山号は端松山。龍雲寺(りょうおんじ)墓地廃仏毀釈により廃寺。(一石は大人ひとりが一年間に食べる米の量に相当)寺領は初め七十五石であったがのちに百石となった。本尊は阿弥陀如来。に移った。藩主・種長(たねなが)が高鍋に移るにあたり安養寺も高鍋在の串間市)に移し、更に慶長九年(1605年)高鍋藩初代秋月氏移封により天正十五年(1587年)福島今町(現立された。の菩提寺として筑前に乾元(けんげん)元年(1302年)建筑前・秋月種頼(たねより/秋月氏を称して第四代当主)浄土宗の寺院で山号は秋月山。安養寺(あんようじ)墓地