ブックタイトルac_nen_0001-3_takanabe
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部1第高鍋町史年表2・122一?3・74ふ4・184・22m・in[a・7LO・I8raI?CD・CM6・176・187・188・2Q″10・410・910・1210・1510・1910・2210・23n・511J・611・711・25黒水鷲郎・城勇雄、家老任命(続々実録)種樹、封土返還の檄文を各藩へ回す(秋月種樹公清話)公議所開院式、議長は種樹(公議所日誌)高鍋藩、中鶴・上江・持田・椎木・高城に砂糖黍を植えっける(稿本県史)明治政府判学事秋月種樹を副知学事に任命(続々実録)弓・槍・長刀・柔術・唐音を廃止し、剣術・砲術を拡張(稿本県史)四隊八屯を二隊五屯とする(稿本県史)高鍋藩、九州内旧幕領地の取締りを免ぜられる(続々実録)練兵試法を定め、兵賦都合を知事、中都合を副知事と称する(稿本県史)子女養育のため捨扶持を止め、年齢一〇歳になるまで木綿二反、米六俵を支給する(稿本県史)北越の戦功により秋月種殷に永世八、〇〇〇石下賜(藩史摘要)高鍋藩、版籍奉還、秋月種殷知藩事に任命、家禄一、六七七石(明治史要)高鍋藩職制改革家老・用人・奉行・大目付を廃し、執政参政とす。藩政をI所五局とす(宰判所・神祇局・会計局・民政局・兵賦局・刑法局)(続々実録)家令・大参事以下改革諸役(内意通達)任命(藩尾録)武藤東四郎外越羽征討出兵者を賞し、永世禄支給(藩尾録)高鍋藩、微禄無壇の寺院を本院に合併、無住寺院の堂舎を取り除き、地所引き払いを申請、認可(県政外史)藩政府を改め、用人所を左局、家老所を中局、奉行所を右局とする(藩尾録)従来の格式廃止、士族一統同格。組外(くみはずれ)以下諸奉公人格式及び諸支配禁止(藩尾録)諸役名・定目付廃止、火消都合を廃止し郷長受持とする(藩尾録)宗旨方・御目代等諸役四六廃止(藩尾録)高鍋藩、上院・下院両院を設ける。上院議長大参事城勇雄、下院議長日高儀一(藩尾録)学校料一、五〇〇石、兵賦局料三、五〇〇石三ッ五歩度米渡し(稿本県史)蒸気船千秋丸購入、船長内野虎次郎(藩尾録)種樹、大学大監となる(明治史要)朝廷大参事宣下、執政役廃止(藩尾録)明倫堂、教授二人・助教四人・舎長二人となる(藩尾録)祇園社を八坂神社と改める(藩尾録)英学指導のため、道幸辰江(長崎の人)雇入れ(藩尾録)高鍋藩大参事に城勇雄・黒水鷲郎、権大参事に坂田芳任命(藩尾録)1・203・285・186・176・256・297・87・178・1510・?1-I.-1712・1712・25初め。ひきっづき野島崎、樫野崎・潮岬・佐多岬・剣崎などに洋式灯台設置)(総合年表)鹿児島・萩・高知・佐賀四藩主、連署して版籍奉還を上表(1・23発表、以後諸藩主の上表あいつぐ)(総合年表)天皇、東京着、東京胞都(明治史要)五稜郭開城、榎本武揚以下降伏(戊辰戦争おわる)(総合年表)諸藩の版籍奉還を許し、藩知事二七四人を任命(?6・25)(太政官日誌)政府、藩知事に対し諸務変革を達し、藩知事家禄の制を定め、家臣を士族と称する(総合年表)九段に招魂社創建、戊辰戦争戦死者を祀る、79・6・4靖国神社と改称、別格官幣社となる(総合年表)政府、大学校を設立、昌平学校を中心に開成、医学両学校を大学校分局とし、これらを大学校と総称(高等教育と教育行政の二機能をもつ)(総合年表)政府、京都・東京・大阪三府以外の府を県に改める(総合年表)政府、蝦夷地を北海道と改称し、一一国に分ける(総合年表)鹿児島の委嘱によりフェントン、軍楽隊の天皇礼式曲として「君が代」作曲(総合年表)スエズ運河正式開通(総合年表)政府、大学校を大学、開成学校を大学南校、医学校を大学東校と改称(総合年表)東京・横浜間電信開通、公衆電報の取扱い開始(総合年表)77一一-