ブックタイトルac_nen_0001-3_takanabe
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部―第高鍋町史年表年号・西暦一天皇一日向国・(新納院)一般事項推古二〇年推古推古天皇が「馬ならばムヒカの駒」と蘇我氏をたたえる(紀)六二二I大化一年孝徳この頃子湯県を母体に児湯郡が成立するか蘇我氏滅ぶ六四五大化の改新始まる(日本史年表)文武六七八文武日向国に朱沙を献心しめた(続紀)一大言璧この頃薩摩国が日向から分立する(続紀)一和銅三年元明日向国は采女を薩摩国は舎人を貢する奈良に都を移す(平城京)(日本史年表)七一〇日向隼人曽君細麻呂教二喩荒俗「馴二服聖化。一。詔授二外従五位下’(続紀)―和銅六年日向国から肝坏・贈於・大隅・姶握の四郡を分けて大隅国をおく。日向国七一三は五郡となる(続紀)霊亀七一六元正里を郷と改め郷を二?三に分かつ(出雲国風土記)一1七言大伴旅人、隼人を討つ(続紀)一養老五年養国山太平寺建立と伝える(寺社帳)一七二Iこの頃(七二I?七三七)日向国は郡五、郷二六、里七一、去京行程二I、海一三(律書残編)一養老七年日向・大隅・薩摩三国の士卒は隼人征討の軍役の負担かおり、穀物が稔らI七二三ず飢寒にあっているため、以後三年の兵役を免ぜられる(続紀)天平一七年聖武日向国ほか九州七国の盤姓の人に願う所の姓を賜わる(続紀)一七四五天平一八年日向国の風雨によって養蚕損傷して調庸が免ぜられる(続紀)一七四六この頃宇佐宮封戸四〇〇戸のうち一一五戸が日向国にあった(宇佐大鏡)天平勝宝孝謙大神杜女、厭魅のかどにょり日向国に流される(続紀)六年七五四i・。宝この年までに日向国分寺が現在の西都市に創建されている。日向国の国分牡牛寺など二六国の国分寺に仏具を下賜される(銃紀)一剣刊づ五六比木神社の祭神百済の福智王、蚊口浦に上陸するという(日州ふ湯郡高鍋比木大明神本縁起)天平宝宇二年ともいうQ`