ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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教育と文化態おもしろく、見る人の心を和らげる。第7編阿弥陀如来像(円福寺)大字南高鍋字宮田、円福寺所蔵仏。木造高さ六八センチ(台座一四・五センチ)全身黒く俗に「黒仏」と呼ばれ、秋月氏が筑前から高鍋へ転封の際この地に移したが、後に円福寺の所蔵となった。阿弥陀如来像(称専寺)大字高鍋町字上町称専寺の本尊、木造仏で高さ四七センチ。制作年代など不明であるが称専寺はもと筑前国栗田郷にあり覚、氷寺と称したのを元和六年(一六二O〉この地に移し僧常安が開基した。そのとき以来の仏像である(宮崎県史蹟調査報告〉。ホ.寒山拾得像舞鶴城二の丸跡に安置する二体の石像。石質は凝灰岩、高さは九三センチと九六センチ。俗に「かんかんぼとけ」と呼び顔面に裂傷がある。背面に次の銘がある。「天文十八己酉(一五四九)孟夏浅日富口日山人一箇老袖口安置文甫」寒山、拾得ともに中国唐代の奇僧という。もと串間にあったものを江戸の秩月落邸に移し、明治になって湘南片瀬(神奈川県)の別邸に、後更に高鍋域内に移された。民間の信仰厚く供花が絶えない。右のほか各寺院の本尊と所蔵仏、海桃庵(黒谷〉の観世音菩薩木像、しようめん東光寺の青面金剛石像、平原西迎院入口の「いぼとり地蔵」など各所の地蔵尊がある。本町は旧藩以来仏寺が多く、優れた仏像が多かったが、明治初年の廃仏製釈、戦争そのほかの災害のために破損し滅失したのは誠に惜しまれ、現存のものも一層の保存対策が望まれる。工大字南高鍋字宮田の宮田神社所蔵の神面が四面ある。三面は木造で一面は土製の焼き物である。町指定文化財。いずれも守護神で顔に当てるものではない。土面のほうは追傑の形相をして瓦製作の手法が用いられている。県内でも珍しい神面の一つ。四回とも製作年代、作者ともに不明だが素朴な感じを与える。東光寺十三仏板碑は大字持田字東光寺の公民館の庭にあり、県内でも数が少なく年代も古い。町指定文化財として価値が高い。石質は砂岩である。高さ一・六メートル、幅一一二ハセンチの四角柱で正面上段に径一二センチの円中に一体ずつ十三仏の浮彫がある。下段に次の銘がある。「南無大師遍照金剛、大和尚阿闇梨鎧寿祐全日口右奉為権大僧都祐深法印、大願主権大僧都口口口口永禄五天口口口(一五六二〉」1010神面と板碑ヰ反町内に貴重な板額があるので、この項で記す。額イ明倫堂板額大安永七年(一七七八)二月、藩校明倫堂の開設に当たり、藩主秋月種茂がみずから筆を執って書いた板額で「明倫堂」と記す。明倫堂の跡に建てられたゆかりもあり、現在高鍋農業高校に保存されている。町指定文化財。行習斉・著察斉板額明倫堂に学ぶ若者は、これを学齢によって二斉に分け、小学部を行習斉、大学部を著察斉と名付けた。これらの板額も種茂の自筆で高鍋農高に保存され、町指定の文化財である。右のほか同校には秋月種樹が高鍋授産場のために書いて贈った「興産」の板額も保存されている。口J、明倫堂記板額