ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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しんじっ時代のちからを生みだす未来を君たちにあずけよう(現代詩選第二十一集〉宮崎日日新聞の読者文芸に詩の部門があったころ、昭和三十四年度のときよし詩作で第一回の文芸賞を受けたのは田口時美であった。田口は愛媛県出身で各地を転々の後、昭和十年ごろ、新しき村の運動に共鳴して高鍋の新山に入植、更に耕地を手放して石原に居住、妻の内職に支えられながら詩作に励んだ。詩部門の選者谷村博武は選評の中で「全身で書いているといった作風」といい、「生活人の詩、おとなの詩」と称賛した。遠い潮鳴問時美口あの時、私は心の隅でつぶやいた|人の美にふれてはいけない|。しかしその時、私はもう触れていた。不安を押える期待の重み。その指先を知った利那に私の自由を縛られていた。その周りに世界は消え時聞は停り化星も家並もおぼろげに文光はただお前だけを包んでいた。抵抗できない力にひかれ第3章狭い路を曲り曲ったようである。魚巣のような岩間の部屋で1そこではも早、お前さえ手も足も顔もない、人体ではない海のような大きな波の満引きの呼吸であった今でもそれを遠い海の潮鳴のように私の中にきくことがある。(宮崎日日新聞)田口は詩部門の文芸賞を受けた昭和三十五年の十二月に流星のようにこの世を去った。田口に続いて宮日読者文芸詩部門で受賞したのは赤松広海で、町内小丸上の当時高鍋高校二年生であった。三十五年度の詩作品が対象で、三十六年一月に表彰式があった。赤松は高校在学中、胸部疾患で川南の国立病院に再度入院、三十五年春、二年生に復学した。入院中も詩作を続け、その若さと恵まれた才能によって文芸賞を獲得した。選者谷村博武は選後評の中で「独特の屈折した思考によって人間心理を追究している」と述べて将来の大成を期待した。イ子鹿赤海1公広まだ夜の明けきらない薄乳色の需に包まれた奥深い森の中で激しい食欲を感じてふと仔鹿が眼ざめる1045