ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

ac_cho_0019-3_takanabe

教育と文化誕生の祝の鯛にしきて来し寒笹の葉はみどり冴えたり大衆は粗雑なれども滋刺と新しき世の光を担ふ、J(群落)同第7編あをく飛ぶ蛍を見ればふるさとのタベのごとし心うるほふ言ひ終へてつむりいませる限がしらの同\ーノ涙はふとし静かに拭ふ母逝く'-"同しののめはいまだ動かず海光の蒼くさしくる山ざくら花灰すてて帰るに余る心かも空ゆく風を聞き定めをり(尾鈴嶺〉妻逝くr、、同\、J尾鈴山ひとつあるゆゑ黒髪の白くなるまで国恋ひにけり(同\ーノりんとして紅梅聞く下に立ちわが九十寿の計をたてんか安田尚義歌碑安田は昭和四十九年、九O歳を迎え、最後の作にあるように「九十寿の計」として歌文集「度々集」の刊行を成し遂げ、同年十二月二十四日この世を去った。名誉町民の称号を贈られていたので盛大な町葬が営まれた。安田の短歌について歌人太田青丘は「安田氏の現代短歌への示唆たんらんは、長江の水を思わせる悠揚せまらぬ息の長さ、第一義芸術への貧斐さてんたんの反面、世間的名声を超越した悟淡さを外にしては、感覚と理念、美と思想を統合して、広やかで豊かなヒュlマニティの歌を、この混乱期の現代歌壇に高く掲げてやまぬところにある」と述べている(山茶花社四十1042年記念講演)。安田みやは尚義の後妻で「新万葉集」に柿青葉すきて明るき目ざしなりもの縫ふ指は紺に染みつつほか九首が「村山きつよ」のペンネームで選ばれて、早くから才能を示した。売られたる仔牛を呼びて一夜なきし隣の牛の声弱りたり四十二年の宮崎県年刊歌集にある歌である。秩月種世包は安田に師事して短歌を学び歌誌「山茶花」の会友で「秋月種萄歌集」を四十六年十月に刊行、三一二首を収める。父母を呼ばふことなく過ぎにけるわが人生の奇しきを思ふ尾鈴山冬もみどりの深々とタベ野鴨のつらなみ渡る(秋月種畜歌集)井田諌雄は蚊口浦に生まれ、昭和五年歌誌「アララギ」の会員とな