ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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教育と文化四文化財の保護対策第7編昭和二十五年に文化財保護法が制定され、三十一年には県の文化財保護条例も施行された。こうした動きの中で、本町は三十年一月二十六日、いち早く第一回文化財保護委員会を、町立図書館内の古呑記念館で聞いた。安田尚義、山名勝重、城戸松之輔、井上進(教育長)岩村熊雄らが集まった。議題は「太平寺跡、土持墓地の保存対策と高鍋の古墳調査について」であった。二回目は五月に聞き、安田が委員長であったが、後が続かず四十一年三月に至って初めて高鍋町文化財保護条例が制定され四月一日から施行した。条例に基づいて文化財保存調査委員(十名以内)が設けられ、安田尚義、秋月種革、萱嶋秀樹、黒木清三郎、隈江四、大泉篤範の六人が委員の委嘱を受け安田が委員長となった。これ以後制度は定着し、町内文化財の調査、記録、保存、指定などに活動を続けている。昭和四十七年十月三十日に高鍋町の古墳祭が復活文化財保護団体して持田古墳で行われた。持田地区の人々が中心になり、古墳のある地区の公民館長などが協力して実現したものである。その後毎年聞かれたが、五十年十月一日「古墳を守る会」を結成、岩下好を会長に選び、古墳祭はじめ持田古墳の整備奉仕などに努めている。さきに記した「アカウミガメ保護少年団」は五十六年十月一日に結成発足し、カメの上陸する五月から、子力メの海に出て行く八月まで、海岸の巡回監視などを続け卵の盗み防止、カメの保護などに奉仕を続けている。町文化財保護条例同じく五十六年十月一目、東中学校内に「文化財愛護少年団」が発足した。高鍋町の文四十九年三月の末、高鍋町教育委員会は、文化財保存化財刊行調査委員の執筆協力のもとに、高鍋町の文化財シリーズ第一集「高鍋町文化財要覧」を刊行、広く町民に配布した。以後毎年刊行を続けて今日に及んでいる。第二集以降は次の通りである。1028第二集第三集第四集第五集高鍋城高鍋の無形民俗文化財高鍋の古墳高鍋の史跡高鍋の社寺と教会高鍋の武家屋敷と民家(未刊〉第六集第七集今後「高鍋の古美術」「同古文書」「問先哲」などの刊行が予定されている。町立図書館においては石川正雄館長などの努力で「明倫堂記録」「明倫堂文庫図書目録」が編集刊行され、研究者に大きな便益を与えている。本町は長い歴史とともに数多くの文化財を伝承しているが、また一方で既に滅失しあるいは町外に持ち出されたものも多く、保存対策については、今後一層の努力が望まれている。第二節己ョ万て教長い歴史を持つ高鍋には神社や寺院が多かった。町民はこれらの社寺に精神生活のよりどころを求め、四季折々の祭礼慰霊行事を実施し、それらの行事は町民の生活の中に根を下ろし、郷土の伝統ともなった。明治維新になって排仏製釈の運動が起こり、町内の多くの寺々が廃された。町内に廃寺の跡が多く残り、小字の名となっている所もある。