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概要

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教育と文化落をなしている。最西部の大谷湿原にはキスゲが自生する。これらは南九州大学の戸田義宏助教授などの調査で明らかになり、五十二年十月「高鍋の自然」として町から刊行された。高鍋の海岸には毎年六、七月にアカウミガメが産卵のために上陸する。これは県の天然記念物に指定され、宮崎市から高鍋町まで、その上第7編陸地域で保護に努力している。本町でも社会教育課を中心に官民一体となって、親ガメや卵を守り、夏休み中に「アカウミガメの子を海に送る会」を実施して町民に協力を訴えている。名勝語こそz tのおき他松既に述べたものを除いて次に略述する。蚊口浦、宝酒造株式会社の西に、名勝琴弾の松の標柱と歌碑が並んでいる。名松は早く枯死して歌碑にありし日をしのぶだけである。歌碑は高鍋藩の絵師安田義門らが天明元年(一七八一)五月に建て、源重之の詠一と伝える次の和歌が刻んである。しら浪のよりくる糸ををにすげて風にしらぶることひきの松裏には渋谷孝徳の撰した文が漢文で刻まれ側面に建碑の年月、建碑者三名の氏名を刻んでいる。和歌は大儒阪庭信義の書である。2高鍋大師大字持団東光寺台地にあり、国指定持田古墳群の一角になっている。眺望が優れ、石仏公園として訪れる人が多い。昭和の初め持田古墳の盗掘が行われたことを歎き、古墳慰霊のため岩岡保吉(号は弘覚)が、自費をもって御堂ならびに東光寺八十八か所を設けた。自作の弘法大師像を堂内に安置し、昭和九年三月入仏式を行った。更に同行者の寄進や協力も得て守護慰霊の石仏を刻み続け、その数は大小合わせて七OO体を超える。岩岡は五十二年一月、八八歳で没した。1026高鍋大師3老瀬観音大字上江老瀬にある。雄滝、雌滝からなる老瀬観音滝の近くに安置され、石仏に「文政十年(一八二七)の銘がある。安産、健康、豊作の仏として信仰が厚く参詣者が多い。静かな渓谷は特に夏涼しく、毎年八月二十五日の祭り行事は地区民総参加で行われ、そうめん流しなどでにぎわう。4谷坂堤大字上江の谷坂の近くにあり、町内では最も古い堤である。元禄五年(一六九二)一月十六日着工、翌二月三日完成、延人数九二三人を要した。当時食糧増産が藩の急務であり、耕地の拡大を図るとともに用水池、用水路の整備に力を尽くした。この堤は三重になっていて手前から順に造られた。普請奉行に河内山清八、河野五郎右衛門、松岡中助が命ぜられている。5山王長法寺(長宝寺)堤大字上江山王にある。元禄七年(一六九四〉七月二十九日完成。河内山清八を奉行に、人足延べ人数五、000人を要した、藩最大の堤である。長宝寺は慶長三年(一五九八)に真言宗高月寺の末寺として閉山し