ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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円福寺下の旧国道を南東へ二00メートルほど行った所にある。正面に「距離元標七里高鍋町南高鍋」の文字を刻む。明治三十六年七月に建てたもの。両側面にも距離が刻まれている。高鍋町の道路元標は本町四つ角の泉屋旅館の角に建っていたが現在所在不明。上江村の道路元標は西小学校の西入口に保存されている。以上のほか蚊口浦水難供養詩碑、正祐寺畜産団地の豚魂碑、高鍋農業高校圃場内の慰霊碑をはじめ、各学校内に記念碑があり、町内各地区にも多くの石碑が残っている。銅町内に設置されている銅像は次の四基である。{象斎藤角太郎胸像高鍋農業高校正門内に建つ。昭和十二年十一月、創立三十周年記念事業として旧高鍋農学校校友会が設置した。斎藤は西都市出身で札幌農学校卒業、高鍋農学校初代の校長として二三年間勤続、明倫堂の精神に立脚して人材の養成に精魂を傾け、優れた校風を樹立した。今日なお「さいかく(斎角〉精神」と称して追慕されている。2柿原政一郎胸像化柿原政一郎胸像文第3章町立図書館の庭に、昭和三十八年一月十四日、柿原政一郎翁顕彰会によって建立された。当初南の庭にあったが、図書館改築の際、現在の場所に移した。柿原は高鍋町出身、東京大学に学び、高鍋製糸社長、中国民報社長、衆議院議員、宮崎市長、宮崎県会議長、高鍋町長、九州輸出製茶社長などを歴任、高鍋町名誉町民、宮崎県文化功労賞、全日本社会教育功労賞を受け、特に私費を投じて図書館を建設して町に寄贈した。3石井十次鋳像西小学校の校庭に、十次生誕百年を記念し当時の校長松浦三州が児童、職員そのほか篤志家の援助で昭和四十年三月末に設立した。十次の像を浮き彫りにした鋳像で、西小学校教育の象徴像になっている。4十次と孤児銅像町中央公民館の東側に建つ。石井十次と孤児二人の立像。高鍋信用金庫(尾崎一男理事長)が創業六十周年の記念事業として昭和五十六年四月十一日に除幕、十次の温かい人間愛に学ぶことを期待し、町民に贈った。製作者は岡山市在住の彫刻家宮本隆である。宮本は「十次の強い精神力と気迫を現わし、若さを強調した」と製作の意図を語っている。舞鶴神社の東側のがけの上に「高鍋大楠」があり、昭和二十六年六月九日国指定の天然記念物である。樹齢約五OO年、根周り一0メートル余、高さ約三五メートル。戦後の台風で中心木の先端を損傷、樹勢の衰えが目立つ。五十四年根元周辺の補強工事を行った。天然記念物町の西部にある高鍋湿原は、海抜五0メートルの高台にあり、カザグルマ、サギソウが群生するほかハッチョウトンボなど珍しい昆虫もいるが年々数が減少している。1025牛牧湿原にはサギソウの自生もあるが、特にノハナショウブが広く群