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概要

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教育と文化政一郎町長が旧碑に準じて再建した。第7編平林忠恕墓碑てんが〈上江の谷坂墓地に建つ。築額は秋月種樹の書、碑文は城勇雄撰で明治二十六年二月となっている。忠恕は平原の生まれで、明治十三年に高鍋養蚕社を聞き、養蚕業製糸業に貢献した。15叩坂田稲太郎記念碑上江谷坂墓地に、明治二十五年一月建碑、城勇雄が碑文を撰んだ旨高鍋郷友会報告に記録があるが現存しない。稲太郎は平原出身で砲術を学び藩兵を訓練、林業にも尽力した。明治三十三年、黒水長髄、武藤東四郎らが発起して右の記念碑の所に「坂田先生之墓」と刻んだ墓碑を建て側面にその功績を記した。昭和十七年一月には、上江の金比羅山の中腹に、秩月種英の碑文で「坂田稲太郎翁頒徳之碑」が建てられた。17長友勘右衛門記念碑舞鶴城跡の最初の石段を上った所に建ち、正面に「長友勘右衛門君水路功績記念碑」裏面に、その人となりや功績を記した碑文が刻まれている。勘右衛門水路(太平寺井手〉は藩公の命を受けた勘右衛門が心血を注いで工事に当たり慶長十七年三六二一)春完成、以後町内の水田を濯瀕する大動脈として今日に及ぶ。記念碑は昭和九年一月完成。18本田親濯淑功績記念碑上江の黒谷、愛宕神社入口に建つ。正面に「本田親君濯灘功績記念碑」と刻み、一裂に本田親の功績を記す。親は平原の生まれで、明治七年井手総代に選ばれて六0年間鋭意水路の整備に尽力した。碑は昭和九年一月完成。ゆもひろげ神社跡碑南九州大学の下、県道脇に建つ。正面に「元茂広毛神社跡」とあり背面に建碑関係者の氏名を刻む。昭和五年十二月建立。1024却人牛馬供養碑南高鍋の欄干橋の北詰近くにあり、明治四十四年二月二十九日の建碑。正面に「人民牛馬健康祈念碑」と刻む。乗合馬車高鍋駅の営業者一同の手で建てられたが、風雨にさらされ文字の判読が困難なほど磨滅している。21畜魂碑北高鍋の宮越、屠殺場跡に建つ。昭和十年十月二十日藤本只喜、水本とさつ康之の二人が屠殺家畜の慰霊のために建てた。その脇に大正四年五月秦久吉の建てた「南無阿弥陀供養碑」も残っている。2軍馬招魂碑県農業大学校内、正門近くに建つ。正面に「軍馬招魂碑」その脇に「軍馬補充部本部長原常成書」と刻む。この地は軍馬補充部の跡で、昭和十一年四月十一日陸軍中佐村上亮が軍馬慰霊のため建てた。終戦後、地下に埋められていたが、浅田光雄らの復元運動が実り、四十一年十月三十日、現在地に復元した。背面の碑文は損傷のため明確でない。23家畜の碑高鍋農業高校の舞鶴牧場に、昭和四十一年八月、牧場完成を記念して、家事国慰霊のため建立した。24精米所跡碑高鍋高校内の中庭に昭和三十年五月一日に同校が設置した小型の石碑。正面に「石井十次先生精米所跡」と記す。25距離元標