ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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帰国途上の所感ァ、美なるかな日向の地予は実に爾を愛すァ、壮なるかな太平洋石井十次予は実に爾を愛す東西二十里なる南北四十里石井十次詩碑(高鍋高校〕日向の原野よ爾は予等イスラエルのために備えられたるカナンにあらずや人聞はその境遇によって教育せらるるものとせば爾高鍋よ爾は予が理想的人物を養成するに於て最も適当のところなりァ、美なるかな尾鈴山ァ、壮なるかな太平洋昭和四十七年四月一日10石井十次顕彰碑化高鍋駅の線路を隔てた土手の上に石井十次の顕彰碑が二つある。は鬼塚八郎が三十九年に書店開業十周年を記念して建てたもの。「孤児の父石井十次先生誕生の地高鍋」と正面に、一裏に鬼塚八郎、安田尚義の文を刻む。ペコ文もう一つは高鍋ライオンズグラブが四十一年六月に建てたもので、「孤児の父」「石井十次顕彰の碑」を表に横書きで刻む。第3章石井十次誕生地碑1上江馬場原の館野邸の庭にある。正面に「石井十次先生誕生之地人蘇峰菅正敬書」と刻む。門の入口の脇に横書きの説明板がある。これは四十五年に石井十次顕彰会が建てたもので「石井十次生誕の家」として石井十次の略歴を記している。12四哲碑友高鍋町横筏の町老人福祉館入口に建つ。題辞は秋月種英の書、碑文は安田尚義の撰並びに書である。四哲は四人の先哲の意で、この場所に生まれた秋月種節の四人の子息、水筑弦太郎、黒水長平、秋月左都夫、鈴木馬左也である。13殉難招魂之碑舞鶴城跡の二の丸跡から本丸跡へ登る石段の上、築山に殉難招魂之碑亀の台座に建てられている。戊辰の役に殉じた勇士の慰霊碑で、初め谷坂墓地に建て、西南戦争後ここに移した。碑文は漢文で末尾に「明治七年秋月種樹謹八月十有八日識」とある。4斗舞鶴城跡の本丸跡西詰に建つ。西南戦争の際西郷軍に加わり殉難した七八名の慰霊記念碑で撰文は城勲である。明治十四年八月十五日の建碑。裏に戦死者名を刻む。この碑は文字の磨滅が甚だしく、戦後、柿原丁丑戦亡記念碑1023