ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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教育と文化てんまれている。築額は秋月左都夫の書で、碑の裏に当時高鍋中学校長であった泥谷良次郎が建碑の理由を漢文で記している。明倫堂の精神を高揚しようとの趣旨である。昭和四年十一月完成。第7編清観公碑高鍋高校の前庭にあり秋月種茂顕彰碑。碑文は漢文で、明治四十一年てんがくに前明倫堂教授日高誠実が撰して書いたのを石に刻んだ。装額は秋月種英が書き、裏面は泥谷良次郎校長の文で昭和四年六月完成。3島田小学校跡碑高鍋農業高校内、明倫堂跡の碑に近い。正面に「島田小学校跡」と刻2み、昭和二十九年十月三日、東小創立五十周年記念事業委員会によって建てられた。高鍋小学校跡碑税務署正門近くにあり、正面に「高鍋小学校跡」と刻む。建碑者とその時期は前記島田小学校跡碑と同じ。45美智子妃歌碑県農業大学校の構内に建つ。皇太子妃御歌耕転機若きが踏みて草原の土はルピナスの花をまぜゆく東宮大夫鈴木菊男謹書歌碑の脇に黒木博知事の御歌を領する碑が建てられている。三十七年五月三目、皇太子御夫妻この地を訪問になり、その印象を美智子妃が御歌に作られ、新年の宮中歌会で発表になったもの。三十八年五月完成。種樹詩碑えん舞鶴城跡、大楠と神社の聞に建つ。この碑は秋月種樹終駕の地神奈川6県片瀬に明治三十八年六月に建てられたものを大正二年五月現在の所に移した。表に次の漢詩を刻む。ニルコトヲシ家枕ニ湘江一得v景多フ相逢朝暮釣魚聖102七十二不入翁説窓古世駿ZFヲ嶺樹観雪日百ニルJ出海峨波々一表面に大蔵大臣曽祢荒助の文を刻む。7安田尚義歌碑高鍋農業高校の正門を入った北側にあり、三十四年五月三日除幕。歌誌「潮音」の選者で歌誌「山茶花」を主宰した平原出身の歌人安田尚義の次の短歌と署名を刻む。尾鈴山ひとつあるゆゑ黒髪の白くなるまで国恋ひにけり尚義背面は秩月種志の文で作者の経歴などを記す。8芭蕉句碑蚊口の鵜戸神社の境内にあり、正面に芭蕉の次の俳句を刻む。うたがふな潮の花も浦の春元禄三年三六九O)に芭蕉が二見が浦の絵を拝して詠んだ句で、高鍋地方で句会が盛んであった旧藩時代に鵜戸神社神官岩切副寛が建てたとされている。石井十次詩碑高鍋高等学校の正門近くに、昭和四十七年九月(碑には四月とある)同窓会によって、創立五十周年記念事業として建てられた。石井十次日記、明治二十七年三月二十九日のところに「途上所感。」として記した三連の詩で高鍋を教育の最適の地とたたえている。9