ブックタイトルac_cho_0019-3_takanabe
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6、焼野のきじははやし唄の文句は以上のように簡単なものだが、その中に踊り手の蝶子が「サアサア、サアサア」「ソレハ、ソイソイ」など入って活気を添える。証の音、棒や鎌、太万の動き、嫌子、男性的な動作、全員一体のかもし出す雰囲気は素朴勇壮で見る人々を魅了する。なおらい祭事の後はにぎやかに直会が行われ、次年度のことも決定する。(安田尚義「鴫野の棒踊」による)町内各地区に旧暦七月十五日の孟蘭盆のころ、毎夜盆踊りが行われる。亡くなった人の慰霊供養とともやぐらに地区民の安全を祈り親睦を深めるのが趣旨である。このときに櫓の上高鍋盆踊音頭で三味線太鼓に合わぜて独得の節回しで歌われるのが盆踊音頭である。高鍋の盆踊音頭は特色のあるもので、口説風の語り物である。口説というのは謡曲や浄瑠璃で怨言、述懐、機悔などしめやかにうたう文句のことだが、高鍋の盆踊音頭には男女の情事を歌ったものが多い。文句は七七調で敵討ちゃ心中物語が語られ、勧善懲悪の主旨を廃り込んだものもある。長い年月語り継ぐ聞に表現や内容が増補修正され、言葉の転散や誤りも生じ、今日伝承のものには意味不明の語もある。化音頭の作者は不明である。これらの音頭は伝承者が次の後継者に口頭で伝え、今日まで語り継がれたが、時世の変遷とともに伝承する人がなくなれば絶滅する運命にあり、既に滅失した音頭もあるに違いない。今日残っているのは、坂本の永友今朝十、蚊口の永友多治衛門、中鶴の蓑毛光政、道具小路の橋佐太郎、阿部義春らの口述記録を岩村髄爾がまと文め、昭和二十九年以降高鍋郷友会報、明倫会報に発表したもので、貴重な資料になっている。町教育委員会発行の「高鍋の無形民俗文化財」の盆踊音頭集も、この資料によってまとめたもので、それぞれ口述者の氏第3章名が記されている。すぐりだけく町内で盆踊りの行われる所は嶋野、勝利、坂本・切原・竹鳩・青木・川田・宮越・道具小路・菖蒲池・中鶴・町・蚊口・市の山・雲雀山などで、蚊口には「ジロマ」と呼ぶ特別な踊りもある。前記の「高鍋盆踊音頭集」には次の一O曲が集録されている。1那須与一2富士ロ音頭3炭焼小五郎4おしおかめまつ7平佐くどき8お民半蔵5いろは口説助叩鈴木主水このほかに、悲恋ひえっき口説、亀山くどき、士、山崎さんざ、お艶くどきなどがある。9おいろ十6おどまりおさよお蝶くどき、梅次郎小富記」トJ ~、物町の北部を流れる小丸川左岸の丘陵地一帯に、昭和三十六年二月二十五日、国指定となった持田古墳群がある。古墳の総数八五基、そのうち、円形墳七五基、前方後円墳一O基で五世紀から六世紀にかけて築造された豪族の墳墓である。中でも計塚と呼ばれる第一号墳は主軸の長さ二一0メートルの前方後円墳で、その壮大さは県内屈指のものである。近くに同じく前方後円の石船塚があり、石棺が露出している。家床の南の低地には第六一号墳の亀塚があり、前方後円墳の中でも珍しい帆立貝式古墳である。古墳これらの古墳は昭和五年ごろ、徹底した盗掘が行われ、埋蔵の遺物も多く町外に運び去られたのは誠に不幸なことであった。この古墳について県教育委員会が梅原末治博士(元京都大学教授)に委嘱してまとめた「持田古墳群」は貴重な文献となっている。持田古墳群以外の町内古墳を総称して高鍋古墳群と呼び、その数八七1017