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概要

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教育と文化古墳から出土した石器・土器・金属器の類はおびただしい数量に上るが、町内に保存されているものは極めて少ない。盗掘のため散逸したこともあって誠に遺憾である。例えば国指定の重要文化財となっている、第二五号墳出土画文帯神獣鏡、同変形四獣鏡はいずれも広島県耕三寺の所蔵となっている。そのほか金環・銀環・銅環・環頭太万柄・銅鈴・曲玉・切子玉・管玉・杏葉・轡など「持田古墳群」に掲載された写真によって知るのみで、ことごとく町外に持ち出されたものである。これらの考古資料を町内に取り返すことは至難の業であるが、町民の文化財として整備し保存していくことが、今後の課題と考えられる。第7編無形文化財高鍋神楽高鍋町とその周辺の各町、旧高鍋藩領内の各神社に伝承されている高鍋神楽は、昭和四十四年四月一日県指定の無形文化財となった。五十四年一月三十一日には国の記録保存無形文化財の選定を受けた。高千穂神楽・銀鏡神楽とともにその優秀さを競い、神楽姿、服装動作も清楚で美しく、また勇壮活発なものも含まれ、よく古風を伝えている。毎年高鍋・川南・木城・新富各町の六神社交代で大神事を行い、高鍋神楽三三番を夜を徹して奉納する習いになっている。六神社は次のとおhHノ。高鍋町八坂神社川南町平田神社木城町比木神社新富町=一納代八幡神社高鍋神楽の創始者や年代については資料がないが、藩政時代は藩主の愛岩神社自費神社奨励保護のもとに神楽道具などの下賜もあり、地域住民の敬神の念も厚く大神事の際に奉納された。明治以降社会事情も変わり、公共の庇護もなく、敬神の風も表え、神'楽の伝承もしだいに危機に直面するようになった。1014大正六年、伊勢神宮奉納神楽に参加の栄誉を担ったが、その後は園を挙げての戦争の中で神楽も壊滅状態となった。戦後、国力の復興していく中で、昭和三十年ごろから神楽保存の声が強まり、高鍋・都農・川南・木城四町村の神職有志をもって保存会が結成され、後に「高鍋神楽保存会」となり現在に至っている。初代会長は高鍋町助役であった尾崎一男で、後には関係各町村長が交互に会長となり、「高鍋神楽保存会会則」も整備された。当初参加していなかった新富町も加わり、現在は東児湯五町の協力のもとにその保存顕彰に努めている。大神事は当町では八坂・愛岩両社が輪番に従って祭場に当てられ、旧むしろ暦十二月十一日に行われる。斎庭の四隅に竹を立て四O枚の鐘を敷く。ひもるぎその北側に神篠を立てる。高さ五メートルほどの榊を中央に、榊を密集して山なりの垣にしたもので、その上に金銀の御幣(奇数)を挿す。神しめ擁の中心から注連を四本ずつ向こう両隅の竹に張る。また同じ所から別〈りおろしに繰卸の注連を張る。これは一筋ごとに扇一本を結びつけ幣には柴もともに差したもので偶数本とする。これらの作業は前夜行われ、神楽三番が舞われる。大神事の神楽は午後八時拝殴に勢ぞろいし、当番神社の宮司から役割の申し渡しがあり、本殴で祝詞奏上の後、一同そろって斎庭に移る。終ばっせん夜たいまつがたかれ、神職と神楽方とが双方に分かれ修放、降神、供俣の後、神楽三三番が奉納される。楽器は太鼓と笛で、ほかに面・鈴・太万・杖・御幣などを用いる。服装は狩衣である。次に三三番の神楽名を