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概要

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児保育の実地研究会党聞くことになりその第一回の研究会が高鍋幼稚園で行われた。三十年十月二日のことで幼稚園教師三O名のほか、町内小学校の低学年担任、宮大学芸学部学生などの参加もあり就学前の教育について重要な資料を提供した。翌三十一年四月、平井タマが園長に就任した。三十三年七、八月に保育室の補強改造工事が行われ、小規模ながらプールも設置された。園児の体位の向上を図るためミルク給食を実施することとなり、調理室(一了七五坪)が完成したのは三十六年七月であった。県学校給食会から講師を招いてミルク調理の実地指導を受け、ミルグ給食が開始された。その後もピアノの購入、旧園舎の保育室改造(一二四・四四平方メートルのステージ付き遊戯室HH通称ホlル増築)ホlルの移転とその後に保育室一(三八・三八平方メートル)・便所の新築など施設の整備が進められた。五十三年八月には園舎一棟を新築した。新たに職員研修室(一八・三平方メートル)が建ち、給食室もこわ建物の一部として設置した。現在園児の宗員一二O名である。開設以来の園長を次に掲げる。高鍋幼稚園歴代園長去就任期間秋月大正日・4・11昭和6・5・4初代藤子イミ秋月須磨子昭和6・51同お・3学校教育イミタ』マ同334同39430平井四代萱嶋三秀郎樹第1章却・51岡崎・9・7五代4・9・ml現在高鍋幼稚園わ歩みは本町就学前教育の歩みであり、特に戦後の混乱欠乏の中に築かれていった幼児教育建設苦闘史は文教の町にふさわしい業績であった。同松岡同戦後の出生児激増、核家族化傾向ならびに一般社会の幼児教育に対する認識の高まりから、幼稚園に入園を希望する者が増加し、全国的に二十四年以降幼稚園が急増していった。二つの幼稚園誕生文部省は二十七年五月「幼稚園基準」幼稚園の施設、設備、編制の基準を示した。三十一年十二月には「幼稚園設置基準」が省令として公布され「幼稚園教育要領」も文部省によって作成された。町内には高鍋幼稚園が早くから設立されていたが、収容能力には限度があり、町民の中に幼稚園設立を希望する声が強まってきた。高鍋カトリック聖母幼稚園は昭和二十九年四月一目、現在の位置(北高鍋七五五|一番地〉に設立された。四十六年十月、老朽のため園舎をを通して、新築、翌四十七年、園児数二一O名となり職員も六名となった。五十一十四で議精丞ダ込…ぬ高鍋力トリヮク聖母幼稚園年三月、続いて翌年も保育室を増築、園児の定員も一六O名の認可を受け職員は八名となった。通園区域が広くなり、通園の安全確保のため、五十二年十一月にはスクールバス一台を購入した。園児の定数はその後も増加し、五十四年九月、定員二四O名となった。五十七年十二月学校法人となり今日に及んでいる。開設以来の同幼稚園の園長は次の通りである。935