ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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委員会として、二十一年八月設置された。委員は三八名で文部省に対し重要建議を続けた。戦後の荒廃と占領下の厳しい条件の中で、新生日本の基盤を築く教育建設の具体案作りは容易ならぬことであったが、委員会の建議によって戦後教育の基本となる法令が作られていった。日本国憲法の制定された翌年、昭和二十二年三月三十一日教育基本法と学校教育法が公布された。教育基本法は米国教育使節団の報告を考慮し、新憲法に基づき、教育刷新委員会の建議により作られた国民教育の基本法である。その前文において国家の理想実現は「根本において教育の力にまつべきもの」と宣言している。第一条に教育の目的を規定「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とし、以下教育の方針、教育の機会均等、義務教育、男女共学、学校教育、社会教育、政治教育、宗教教育、教育行政など一一条に及んでいる。学校教育法は教育基本法に基づき、学校教育の系統・目的・編成を規定した画期的なものである。特色を次に略記する。1教育の機会均等の実現、男女差別の撤廃、就学援助、心身障害児の教育を進める。学校教育1学制を単純化し六・三・ゴ了四制に一本化する。1義務教育年限を中学までの九年に延長し、特殊教育の義務化を図る。1高等教育を普及し大学の門戸を開放する。第1章義務教育の年限延長と学制の単純化は戦前からの課題であったが敗戦と占領下という条件の中で一挙に実現することとなった。学習指導要領学校教育法は公布の翌日、二十二年四月一日から施と教科書行され、国民学校は再び小学校となった。まず必要なのは教育課程と教科書である。教育課程の基準は文部省から二十二年一一一月「学習指導要領一般編、試案」が発表され、引続き各教科別の学習指導要領が作られた。これによると小学校の教科は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育および自由研究と定められ、従来の修身、国史、地理の三教科が姿を消し、社会、家庭、自由研究が新教科として登場した。修身については特に教科を設けず、全教科、行事など学校生活の全分野を通して指導し、国史、地理は社会科の中に包含された。なお社会科は中学校、高等学校にも設けられた。家庭科についてはこれまでの家事科と違って男女とともに課することを原則とし、小学校では五、六年生に課した。自由研究は小学四年以上に諜し、児童生徒の自発的な活動を通して個性を伸ばしていく趣旨で設けられた。中学校の教科は必修と選択の両科目に大別し各教科を配当した。教科書は検定制度となったが、新しい制度の発足には間に合わず、文部省著作の暫定教科書を使用した。六・三制の発足新制小中学昭和二十二年四月一日、学校教育法の施行とともに、校の誕生高鍋国民学校は高鍋東小学校に、上江国民学校は高鍋西小学校に校名を改称した。従来の高等科は廃され、同時に青年学校も廃止された。昭和十六年以来使用されてきた国民学校の名称もわずか六年間の命脈であった。制度は変わっても小学校の位置、校舎などに変更はなく、また両小学校ともに通学区も従来のままであった。西小学校はこの年六月一日北側929