ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化の発足とともに姿を消した。終戦によって国政は連合国軍司令部の占領におかれた。昭和二十年十月二十二日総司令部から出た「日本教育制度の管理」に関する指令などで次のような重点目標が示された占領下の教育第7編1軍国主義及び極端な国家主義的思想の普及を禁止し、軍事教育を廃止する。1平和主義、民主主義、基本的人権思想を尊重し奨励する。1現在の教科書、教材は、軍国主義、極端な国家主義的な部分を除き、一時的に使用を認める。1職業軍人、軍国主義者、極端な国家主義者等を罷免する。1神社への国の支援を禁止し神道による教育を学校から排除する。修身、日本歴史および地理の授業を停止するよう総司令部から覚書が出たのは二十年十二月十三日で、これらの教科の授業は全国一せいに停止となった。翌二十一年一月、県は学校内の神社、神棚、戦勝記念碑、忠霊碑などを即刻除去するよう各学校へ通牒した。周年十月文部省も教育勅語捧読の廃止、勅語詔書謄本などの神格化廃止を通達した。上江国民学校沿革誌に、二十一年一月十五日御真影を県に奉還した旨記され、奉安殿撤去の作業が同月十七日から始まり二十八日に終了したと記録されている。町内の各学校も同時に実施したのであった。各学校では教科書の中の軍国教材そのほか不適当な表現を墨で抹消した。ついこの前まで金科玉条のように取り扱った固定教科書を教師児童ともに墨で塗りつぶし、切り取りなどして敗戦国の悲哀をかみしめたのであった。墨塗り教科書がそれである。jtz-aehvee,働五のねVVき色句幽司H是崎ドhh暗まず正ずるあむ重量船fけはば岬かまぞむF4 Uふ嵐官PMVLL山YAVぱLて曜市hr合ゆ帽をよ毒叫南れrt晶ば主的じ‘留置置EE--FE-EE--一v浪乃かじaphhたヘてぜぶ14みなた〈主ーさ揖向台一略一一‘重量.重量曹一‘墨書量霊湿竃曇湿EEEES霊蓄量g・量密aE・魯-EEE.,あeAr3一直人hに何事品&九世時機45宮川みのヂ出4yw一もいかな書にみr,内ドλ時心U4L4eHVどの占めIZJe6E4MHAbiv丹ZGRU拘ごrtムFhw'hrqH川tぬまはtaRVばヰ墨塗り教科書二十一年六月二十一日、高鍋高女に進駐軍将校スタントン大尉が訪れた。体操の授業中校庭の中央で組々左で行進し、更に左向けで西へ行進させていたのを同大尉に指摘され注意を受ける事件があった。集団的な体操授業、特に女学校での授世手荒だっただけに軍事教育926がなお続けられていると受け取られたのである。停止の指示を受けた日本歴史の授業再開のため文部省は新しい国史教科書を編集、二十一年九月「くにのあゆみ」として上下二冊を発行した。総司令部から国史の授業再開の許可があったのは同年十月十二日である。終戦の翌年二月二十三日、高鍋国民学校は県指定科学教育研究を公開した。校舎、校具そのほか戦後の困難な事情の中で戦後教育の目標の一つであった科学教育の在り方を研究し、いち早くその研究の実際を公開し参集者に大きな刺激を与え、学校の底力と教育実践に取り組む意欲を示したのであった。二十一年十月九日文部省は男女共学実施について指示した。次いで同年十一月三日日本国憲法が発布になり翌二十二年五月三日から施行されることとなった。