ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

ac_cho_0017-2_takanabe

いでここまでお出の人形さんさびしいやうには致しませんお国のつもりでいらっしゃい。(三番略〉日本からも答礼の日本人形を各府県から米国に届け、これらの人形は第二次世界大戦を経た現在もアメリカ各地でたいせつに保管されているという。ところが我が国に贈られたアメリカ人形は昭和十六年(一九四一〉十二月八日、太平洋戦争突入以後、青い目の人形を「鬼畜米英」の身代わりとして踏みつぶし、焼き捨て、水に沈めてこの世から葬り去った。高鍋小学校の人形だけが一部破損はあるものの戦禍や人災を免れ、海を渡って六O年、なお日米親善使節の使命を果たしている。戦時中危険にさらされた時期もあり、戦後も行方不明を気遣われたこともあったと聞くが、今日では「メアリーちゃん」の新しい愛称もつけられ児童たちのアイドルとなっている。学校教育一万二千余のアメリカ人形のうち、残っているものは一九O体余という。本県では高鍋東小の一体のみが健在で、毎年三月三日ひな祭りのころに全校を挙げて「人形祭り」の行事が行われる。宮崎県政八十年史上「昭和初期の教育内容」中に郷土教育研究会「歴史、地理教育が昭和六年前後から急に脚光をあび、むしろ歴史がすべての教科の中心となった」として郷土教育の盛んになったことを記している。また昭和五年一月小学校長会で石田知事第1章は「特一一皇祖発祥ノ霊地タル本県一一於テハ益々敬神崇祖ノ美風ヲ篤クシ、建国ノ大義ヲ明徴ニシ以テ皇国精神ノ、泊養発揮-二層ノ努力ヲ捧ゲ国家有為ノ人材ヲ養成セシムルコトニ努メザルベカラズ」と指示し、指導事項の中に「郷土教育の徹底」そのほかを挙げた。郷土への愛着、祖先墳墓の地への執着強化をねらった郷土教育の運動は昭和初期以来、文部省や各府県の奨励に民間運動も加わって広がり、成果を収めた。児湯地区では昭和四年六月十七日、高鍋小学校を会場として県主催の郷土教育資料展覧会が聞かれた。各学校から郷土教育資料が出品され、翌十八日には郷土教育研究会が行われて盛会であった。このときに高鍋小学校国史研究部が編集した「郷土教育資料集第一輯」は高鍋の歴史教育資料集で旧藩時代の記録を初め、社寺、遺跡、伝説などにつき資料を収集整理し謄写製本したもので二一0ページに及んでいる。内容は次のように三つに分けて記述してある。一、土持氏秋月氏と財部城。財部郷と土持氏。秋月氏と其の政治。古戦場としての高城及び付近。豊臣氏九州役、根城坂及び高城川の合戦。明治十年西南の役と高鍋二、人物伝。秋月清観公。秋月種樹公。千手輿欽(外一一人略〉二回向鍋の教育ハ円藩教育の起りと明倫堂同公立高鍋学校同私塾晩翠舎伺高鍋小学校913