ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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第7編教育と文化昭和は経済不況のうちに幕が開き、やがて世界恐慌の嵐は日本にも波及する。満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日華事変を経て太平洋戦争に拡大し、国を挙げて戦時体制下の非常事態に突入、教育も様相を変えていった。軍事教練の強化はもとより、国体観念の明徴、日本精神の高揚が叫ばれ、皇国臣民の錬成が教育の中で強調された。教科書の内容も日本神話、戦争美談などが盛り込まれ、耐乏生活とともに児童生徒も生産に参加した。青年学校が誕生し、それが義務制となり、小学校は国民学校に装いを変え、学童疎開、学徒勤労動員など戦争の激化とともに学校はその本来の機能を停止するに至る。以下終戦までの学校教育について記す。一昭和初期の学校青い目の人形高鍋婦人会記録(高鍋幼稚園所蔵)の昭和二年(一九二七)のところに次の記事がある。三月二十一日米国より送られし人形受取の為保母二名と付添ひ本会より幹部一名県庁に出頭す。三月二十六日幼稚園保育証書授与式挙行の際、人形の歓迎会を開き幹部出でて其労をとる。日米親善使節としてアメリカから青い目の人形を日本の子供に贈る計画があった。米国西岸に渡って行った日本移民に対し排斥運動があり排日移民法を制定したりしたので、米国の世界児童親善会が親善使節にアメリカ人形を贈ることにしたもので、全国の小学校、幼稚園に一万二千余体が届いた。朝鮮、台湾なども含まれていた。右の記録は高鍋幼稚園に人形が到着したときの貴重な記事である。高鍋小学校の方は同校の学校日誌、昭和二年四月四目のところに「正青い目の人形(高鍋東小)午ヨリ人形歓迎会」とある。幼稚園と同じように県庁に受領に行き、春休み中、学校に保管し、四月四日は入学式もあったのでこの日に人形歓迎会をしたものと考えられる。高さ三七センチ栗色の髪、青い目の人形で寝ると目をつむり、腹を押すと「ママー」と声の出る人形であった。上江小学校沿革誌の昭和二年四月四日の記事に「入学式挙行後アメリカ人形歓迎会小音楽会を行ふ」とあり、高鍋小学校と同日に歓迎会をしたことが分かる。このように高鍋、上江に三体のアメリカ人形が送られてそれぞれ歓迎会を開き、次の歌を歌った。高野辰之作詞人形を迎へる歌東京音楽学校作曲海のあちらの友だものまことのこころのこもってるかはいいかはいい人形さんあなたをみんなで迎へ宜す。波をはるばる渡り来て912