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概要

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上江村では大正十五年六月二十三日に上江小学校長竹原祐美が上江青年訓練所主事に嘱託され、同月二十六日に次のとおり指導員が嘱託され、七月一日から発足する。上江青年訓練所指導員訓導渡部通之、浜砂教諭小林陸軍歩兵曹長軍曹幸夫森武夫寿正幸同内田同上等兵巌剛熊押丸川同同学校教育み多霊童!て水一修長,.?挙史接d温色,T -て楚会堂喜ま守第1章(東小沿革誌)陸軍騎兵上等兵倉掛一等卒村田義巳同末松陸軍砲兵少尉矢野(西小沿革誌)上江青年訓練所の入所式は同年七月十六日来賓脇山中佐ほか百余名が出席し発足を祝った。この年十一月五日には都農青年訓練所主事以下一五O名、北諸県郡祝吉および高崎青年訓練所指導員が上江青年訓練所の視察に訪れた。十一月二十九、三十日には上江青年訓練所設立の記念事業として上江小学校周囲の築堤作業を実施するなどその活動が注目された。十五年十二月二十五日に第一回の修了式を予定していたが大正天皇崩御のため延期となり上江青年訓練所が第一回修了式を挙げたのは昭和二年一月十一日であった。官同鍋青年訓練所の第一回修了式は十五年十二月二十二日であった。当時両小学校ともに実業補習学校が付設されていたから、その生徒たちは同時に青年訓練所にも籍を置くことになった。特に青年訓練所を終了した者には兵役勤務半年短縮の思典が与えられたことと軍事重視の風潮も相まって、青年たちは競って青年訓練所へ通った。青年のこうした二重明在籍の教育を一本化するため、高鍋青年訓練所は昭和二年六月八日廃止し、高鍋実業補習学校をもって青年訓練所に充当することとした(東小沿革誌)。これは廃止と呼ぶよりむしろ統合というべきもので高鍋実業補習学校がそのまま高鍋青年訓練所となって教練そのほかの教育内容については青年訓練所令、同規程に従って実施したのである。上江青年訓練所については特に廃止の記録は見当たらないが実態は高鍋と同じく上江実業補習学校がそのまま上江青年訓練所という形態であった。このような姿は昭和十年(一九三五)青年訓練所が実業補習学校と合体して青年学校になるまで続いたのである。第三節戦時体制下の教育明治・大正にかけて国力の向上とともに、教育の制度も整い、教育への関心も高まり、本町は幼稚園、小学校、中学校、女学校、農学校等を有する教育重視の町に成長した。91