ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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遊戯室一O坪五合小使室、便所等二一坪五合建築工事費一、五八五円設備費(机、腰掛、遊具等)週二三時間秋月藤子保育年限二年保育料月額八O銭設立資金については町内婦人会員から六、000円の寄付を募り、これを三年間に調達することとした。こうして十三年三月二十六日には早くも地鎮祭、四月三日は園舎の上棟式、同二十六日に落成式を挙げた。教育と文化第7編六、保育時数七、園八、そ長の他一五O円創立当時の高鍋幼稚園五月一日開園、第一回の入国式を行う。定員四O名に対し、入園希望者は一OO名以上になり園舎の狭さを感ずる始末であった。婦人会役員の人々は設立基金を集めるため町の行事や各学校の運動会などで花を売り、活動写真を請けて入場券を販売するなど積極的な活動を積み重ね幼稚園設立の宿望を実現した。四月二十六日が幼稚園設立記念日である。」ーノ\青年訓練所の設置910大正の末に小学校に付設された青年訓練所は青年に対する社会教育の機関であって学校教育とは性質を異にするが便宜上ここで記述する。高鍋・上江青大正十四年(一九二五)一月十日文政審議会は「学年訓練所設置校における軍事教育実施案」を答申したが、これを受けて同年四月に「陸軍現役将校配属令」が公布され同施行規程も制定され、中学校以上で現役将校による学校教練が実施されるようになった。こうした情勢の中で大正十五年(一九二六)四月二十日青年訓練所令および青年訓練所規程が公布になり、宮崎県も同年六月八日青年訓練所細則を定めた。小学校修了後業務に従事する青少年に対して兵式訓練を実施することにしたのである。一六歳以上二O歳までの男子を収容し修身および公民科、教練、普通学科、職業科の四教科を課し「青年ノ心身ヲ鍛練シテ国民タルノ資質ヲ向上セシムルヲ以テ目的」(青年訓練所令)とした。教授時数は四か年を通じ修身および公民科一00時間、教練四O0時間、普通学科二00時間、職業科一00時間とし、終了者には兵役在営期間半年短縮が認められた。高鍋青年訓練所は大正十五年七月一目、高鍋小学校に併置され職員は次の通りである。事学科指導員主重次校長吹井熊雄、鬼塚源吾、江藤古屋作太郎、森規矩男、児玉利一、正崎虎三郎、宇治橋重雄、富岡春吉、美朋、谷脇兼茂、都原孝太郎、横山那由美、鈴木重良、永友常義宗発、教練指導員矢野河原ム:井明