ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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る。高鍋小学校の一隅に併設して発足した本校は大正十コ一年度から組織変更となり敷地も分筆されはしたが依然、小学校と同じ場所にあり、県立移管にはなお多くの条件を整備する必要があった。その第一一は校地の移転であり校舎の改築である。こうして北高鍋三、三二八番地(菖蒲池、現在東中)に位置が決定、十五年十一月十二日校舎の移転改築の認可があり、校舎新築起工式を挙げたのは昭和二年五月十二日であった。この第二棟は同年秩に完成しその後講堂、本館と工事が進められ、県立移管も実現、昭和四年二月十五日宮崎県立高鍋高等女学校と改称の認可あり、四月一日から発足した。五高鍋幼稚園の誕生高鍋高等女学校(昭和11年〉学校教育設立運動から開園まで明治五年の学制に幼稚小学の名が見えるが、我が国最初の幼稚園は明治九年東京女子師範学校に開設された。本県では明治二十六年に私立宮崎幼稚園が設けられている。高鍋では明治三十年ごろ荒瀬カツを中心に小丸キリスト教会婦人部の組織であった矯風会が幼児教育の重要性を唱え、幼稚園設立運動を開始したのが発端である(高鍋幼稚園沿革史)。しかし幼稚園設立は実現しないままに歳月が経過し第一次大戦の後に高鍋婦人会の活動として再び設立第1章の運動が始められた。大正十二年十二月、婦人会幹部会において、十二年度町婦人会の事業計画として幼稚園を設立すること、明春行われる東宮股下御成婚記念事業としてこれを実現することを協議し条文を作った。翌十三年一月二十六日の東宮殿下御成婚の土日日に際し幼稚園設立趣意書を一般に配布した。幼稚園設立が具体化すると幼稚園の先進地を視察する必要に迫られた。十三年二月四日高鍋を出発、荒瀬カッ、水町エイ、児玉ナミの一一一名は宮崎、鹿児島、熊本、長崎、福岡など九州各地の主な幼稚園ならびに社会事業を視察した。視察から帰ると二月十二日幹部会を聞いて視察の報告をするとともに今後の進め方を協議した。高鍋幼稚閣の設立が婦人会の事業として進められたのは大きな特色で、加重する困難を会員の協力で克服した。設立認可申請書の作製、基金募集、敷地選定、園舎建築、保母の雇一い入れなどが着々進み、同年コ一月二十五日に書類を県に提出、三月三十一日付けをもって設立が認可さーとo'噌バ吋、ザ,,県に提出した諸調書の中から主なものを次に摘記する(幼稚園沿革史〉。、名一、位高鍋幼稚園宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋字菖蒲池三、三一四番置称地ノ三、面4積四、園児定員園舎敷地運動場合計男女各二O名計四O名八六坪五合二ハ一坪二四七坪五合五、園舎建築・設備費909保育室一O坪五合