ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化校ト改称致度候間御認可相成度別紙関係書類相添此段及申請候也大正十二年十二月二十六日宮崎県児湯郡高鍋町長原泊第7編文部大臣岡野敬次郎殴百己称宮崎県高鍋高等女学校本科実科補習科本科四箇年実科二箇年本科二百名実科百名補習科一箇年補習科五十名一、名一、学科一、修業年限一、生徒定員て変更年月日大正十三年四月一日右の申請に対し文部省は、雨天体操場の新設、教室の増築、職員の充足を条件に大正十三年四月十四日認可した。条件の校舎および寄宿舎の増築は教室五O坪、寄宿舎生徒室一九坪(いずれも廊下を含む〉雨天体操場は六二坪で十三年十月末日までに町費をもってしゅん工するよう指示があった。かくして本科四年制を主とする高等女学校となり実科は併置の形となった。そのため小学校に併設することは法令上認められなくなり、高鍋小学校から分離独立し、校長も専任を任命した。しかし位置は従来通りであった。高鍋小の敷地から一、七七一坪(校舎敷地一、三七一坪、屋外運動場四OO坪)を分筆し独立の学校とし、同年四月三十日専任校長として矢野盛雄が任命された。組織変更の結果、校舎、寄宿舎、雨天体操場などの建設、職員任用に町の財政負担が増加、そのうえ高鍋中学校の新設も加わって町費が膨張した。そのため県立移管の要望が強くなり大正十二年十二月二十五日、町会は県立移管を議決した。この決議に基づき原坦町長が県知事に提出出み→→量回事908自に敗滅の色を見ず冒耳こん潟の音を聞かず春吉作詞テッ作曲同旦ず冒ず主rイ中西高橋昌一昌一一一戸…』一一楽し楽し我等が集い潟世をよそに集える我らぞE差東蚊口の波車問く高鍋高等女学校校歌記重量ーヰ二平ヰ弓面Z君邑われ北に尾鈴の峰高し邑雪コ→・はIii弓「亘ん乙女我らが心の姿ぞ空楽し楽し我等が行方国手岸ヰの一本松の色まして学びのにわに今しはゆ千古に変らぬ操のしるしぞ楽し楽し我らはらから九民事み軒町轄の「移管申請案文」が同校沿革史(「明倫」所載〉に収録されているが、した移管を申請する理由を述べた後に次のように記す。「女子教育ノ勃興セル今日設備ノ完成内容ノ充実ヲ計ルハ刻下ノ急務ニ依ツテ大正十三候モ此上過重ノ負担ハ一町村ノ能力堪ユル所ニ無之候年度ヨリ県-一移管ノ件別紙ノ通リ町会ノ決議ヲ経候間特別ノ御詮議ヲ以テ願意御採択ノ上移管相成度此段申請候也」それは施県立移管の運動は始められたが容易には実現しなかった。設・設備そのほか既設の県立学校に比べかなりの相異があったからであ