ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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四高鍋実科高女の発展明治四十五年四月開校の町立高鍋実科高女は、大正に入って新校舎を建設する。場所は現在の東小学校プールの東側一帯である。大正二年四月十六日敷地調査、同年十一月の高鍋町議会で校舎新築費五、000円の起債が議決された(宮崎毎日)。翌三年二月二十五日工事入札、七月三十日に新校舎が完成した。新築落成式は翌年二月十六日に行われた。なお新校舎の落成を記念し県内の学校に呼びかけて集めた学芸品展覧会は十五・十六両日にわたって聞かれた。新校舎は鍵形の平屋建てで、総坪数二二八坪(七五二・四平方メートル)内訳は次のとおりである。校舎の新設学校教育p型ι民ー・職兼器教室事校警実員長器習室室具名室室室室五数坪。。数休使宿室養丁直主{室{三忌名室数坪ノ、。四/\四数第1章大正五年五月二十五日、高鍋実科高女に補習科設置のと寄宿舎認可があった。学校では大正三年四月から、一年には教育大意を週一時間、二年には保育法および教授法を週二時間課していた。これは女性にとって教育に関する知識が必要であるのと当時、卒業後小学校教員を志望する者が増加の傾向にあったからである。補習科設置大正五年度から設置された補習科は一学級、定員三O名、修業年限は一か年、本校卒業者もしくはこれと同等の学力を有する者を入学資格とした。設置の趣旨は小学校教員志望者の増加に対応するもので、卒業生には小学校裁縫科専科正教員、尋常科准教員(成績が三分の一以内の者は正教員)の無試験検定の資格が与えられた。第一回の入学生は一O名であったが、逐年増加し、三年制実科女学校の新設と同様の好成績を上げ、昭和四年県立移管まで続けられた。校舎の北側に東西に長く寄宿舎が建てられたのは大正七年のことであった。本校が宮崎延岡両高女の中聞に位置し、二年の修業年限で高女卒の資格が与えられ、卒業生が優秀であるなどの理由から地元以外の入学者も増加し、これらの生徒に対する訓育と学費節約の立場から設置が必要となった。同年五月二十八日に起工、十月三十日にしゅん工した。平屋、総面積七一坪、舎監室一、自習室五、一室の広さは八畳であった。大正八年六月から専任の舎監を置き初代舎監に荒瀬カツが就任、寄宿舎生徒の学習、訓育、保健衛生などに指導の徹底を図り寄宿舎の教育は顕著な充実ぶりを見せた。荒瀬の厳しく、誠意と人間愛に満ちた人柄は卒業後の就職、結婚などにまで及び今日も多くの人々に敬慕されている。組織変更と県第一次世界大戦後、教育の普及と上級学校への進学立移管運動者増加に伴って実科高女ではあき足らないとする考え方が強まってきた。実科的教養と並んで普通教科の教養を身につけ上級学校を希望する声が強まった。このため普通の高等女学校に組織を変更し、実科も併置することとし大正十二年十二月二十六日付け文部省に次の認可申請書を出した。実科高等女学校組織変更ノ儀ニ付申請907本町実科高等女学校ノ組織ヲ左ノ通リ変更シ宮崎県高鍋高等女学