ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化第7編三年間、土地の買収、校舎の新築、教師の充足、教材教具の購入、財源の確保など当事者の辛苦は言語に絶するものがあった。校舎の落高鍋中学校本館(昭和7年〕成式は翌昭和二年四月十五日の開校記念日に講堂で行われた。学校の基本財産である基本山林は児湯郡三納村大字三納字吹山にあり面積二七八町歩(二七八ヘクタール)の部分林で三官七民の契約であった。児湯郡民全部の共有であったが県立中学を妻町に設置するに当たり、西部八か町村はその持分権を東部七か町村に譲渡したのであった。高鍋郷友会報告(第五三号)に「児湯十五箇町村組合林、杉、扇柏、松の既植林に関しては大正十四年四月二十二日西部町村譲渡契約締結、十六年=一月三十一日を以て全然高鍋中学校に其権利を獲得することとなれり」と記されている。更に同報告(第五七号、昭和四年五月発行)に「(前略)右山林は児湯郡東部七箇町村と財団法人高鍋中学校との共有になっていたのであるけれども、其権利移転の手続きは、尚今日迄未了のままになっていたが、去る三月十六日付を以て愈々熊本営林局から権利移転の認可を得て、実質上にも形式にも完全に権利移転の確定を見ることができた。即ち財団法人高鍋中学校は是迄の児湯郡西部八箇町村の持分を所有し、東部七箇町村は最初部分林を設置した当時通りの持分を所有することとなったのである。因に右山林は面積二百七十八町歩の杉扇柏林であって、すでに造林後十九箇年乃至八箇年を経過し、樹木の発育旺盛にして今後ますます其価格をたかむる状況である」との記事があり、最終的にすべての手続きが完結したのは昭和四年三月十六日であった。高鍋中学校の校舎等の施設が完成した昭和二年当時の状況を同校沿革史(「明倫」所載)によって次に記す。付校舎二O一・五(坪)906本館教室教室棟棟棟九室八{至二三三・七五普通教室四室・特別教室四室二五五・二五同食堂、炊事場棟四五・0=70同倉庫一棟帥講堂一棟一二七・五(外に地下室二四・O)帥武道場(宿直室、小使室を含む)一棟五三・0開校当時、小学校仮校舎の南側に付設した生徒控室を移築改装し村武器庫帥便所的渡廊下注たもの棟二四・O職員用生徒用四・九三七・O棟棟合計四棟七四・七五一、O六八・六五一万八三0・0敷地道路敷地七八三・0