ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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ベきを思うの時、更に一一層奮励、彼の人の子を賊うの識を胎さざらんことに努めざるべからざるなり。本日本校開業の式典を挙ぐるに方り、職員諸賢の誠意の教訓と生徒諸子の専心の勤学とを切望するとともに、我が町村人士の献身的努力の永久ならんことを要請して己まざるなり。酬明か所感を陳べ以て式辞となす。大正十二年四月十五日中学校開校の嘉日に当りて財団法人理事長水町開校式の後、高鍋小学校の中庭の天幕の下で立食の祝賀会が催され五OO人に近い参列で盛会のうちに中学の発足行事を終わった。開校当時の仮校舎は前にも触れたように、高鍋小学校第三棟東端の二学校教育第l章フ巳高鍋中学開校当時の仮校舎階建てを教室に当て生徒一O二名を二学級に編成し、階上と階下に収容、翌四月十六日から授業を始めた。職員控室として同じく第二棟東端の小室を借用、運動場、便所は小学校と共用であった。勝浦学監の骨折りで間もなく三十余坪の生徒控室と便所が二階建ての南側に仮設された。勝浦学監はみずから教壇に立ち、自分の立案した校訓について教え、教育勅語についても講義した。勝浦学監が起草し井上啓次郎博士の監修を受けて制定した校訓は資料がなく明確でないが第一回卒業式の水町理事長の祝辞中に「質実剛健、信義友愛、協同勇遁」の語が「本校教旨の信条」にあり推察できる。開校当時の職員は次の通りであった。教校新中井村長三蔵(数学)益吉(修身、英語〉因幡(国語、物化〉平林菊衛(国語、漢文)一木伺四郎(博物)大場博(体操、図画〉富岡次郎吉勝浦鞠雄5命同目U回同同同事務官学監理事長事町フ巳坦高橋正照学校の敷地が御屋敷の現高鍋高校の位置に決定したのは大正十二年十月十日であった(日州新聞)。敷地が決定すると整地作業が始まった。創立当時の一年生は桑の根を掘り起こし、凹凸をならし職員とともに汗を流した。やがて校舎建設の工理原学校整備の概要事も始められた。第一期工事は第二校舎八教室の中西側四教室がまず完成、翌年四月には小学校の仮校舎から新校舎へ移転した。この四教室は境が取りはずし式になって講堂に代用できたので十三年度の入学式もここで行った。六月になると校地の整備も終わり、残りの東側四教室も完成を見た。その後本館一棟(九室)特別教室一棟(八室)が完成したのは十五年五月で、十二月には講堂もしゅん工した。校舎建築に着工して905