ブックタイトルac_cho_0017-2_takanabe
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教育と文化第7繍作詞作曲でまaヲ一お害事J高鍋中学校校歌山より掘りえしあら金もももたび千度うちてこそするどき剣となりいづれおのがこころも己が身もきたいかためし後にこそますら健男となるならめ緒ごとに其の品目は変れども一つしらベにかなでてぞ琴はいみじくきこゆなるおのれをすてて人々もこころあわせて勉めなばいかなる業か成らざらんこの世に人とし生れたるわれには吾のっとめありおのがほどほど守りつったゆまずうまずひと筋になおくただしき道ふみて身を立て国にむくいてん着開校の采配をふるった。勝浦は明倫堂教授で東京市内の中学校長経験もあり教育界の先達の一人である。「校訓ヲ草シテ井上啓次郎博士ニ諮リ、校歌ヲ按ジテ武島羽衣学士ニ送リ文部省-一就キテ生徒用ノ机楊ノ衛生的ナル者ノ様式ヲ問ヒ、教室ノ修理ヲ促シ、表簿ノ式ヲ定メ、用具ノ指示、教科書ノ択定等ノ事ニ当リ」(勝浦納雄「高鍋中学校」高鍋郷友会報告第五O号)努力を惜しまなかった。初代の校長には県立都城中学校首席教諭中村三蔵の就任が決定した。着任は五月九日である。納雄羽衣昌も昌三百あらがねうちてこそなりいづれのーがみもー、-- ~ ..・. ",.ちーに一こーそるならめ浦島勝武高鍋中学校校歌間昨日起めし主主幸持つE軍事ユ性長FFがコe→手忌やrも事三事才幸三開校式は旧高鍋実科高女の教室を借りて挙行された(舞鶴会雑誌第二号)水町理事長が次の式辞を述べた。904式辞三百年来、文教の淵叢にして旧藩侯の遺沢は丸江の流と共に尽きず、絃諦の余響は鶴山の松濡と共に存する高鍋外六ケ町村の地たる猶民風の温良なるものあり。習俗の醇厚なる他に譲らざるなり。さきに木県中学校増設の議あるや、我が町村民は之が建設の必ず此の地たるを信じ懇情切望己まざりしも県当局の方針は、不幸にして我が意見と一致するに至らざりしを以て、我が町村民は慨然憤起し、日夜寝食を忘れ、東西奔走、描据経営その誠意なる疾呼と熱心なる大声とは、世上の育英的思想の高潮を促し、都郡有識者の協力を得て、放に中学校の創設を見るに至れり。我が町村民歓喜の至情は実に物の比すべきなく言の尽すべきなく、市して此の喜びたるや私的の喜びに有らずして国家的喜びと謂うべく、郡県当局及び政府当局にありても亦一顧の値あるべきを信ずるなり。凡そ創業は難く守成も亦易からず。則ち今後校舎の新築に維持に之が経費の醸集に耐忍協同、全力を傾注し以て有終の美果を収め得るの決心なかるべからず。思うに校運の興廃は独り職員諸賢教授の加何と生徒諸子の勤怠とに有るのみならず、我が町村民の意志の強弱に関すること実に大なるものあるを思えば、則ち我が今日の歓喜は、将来に対する憂健の情を相伴うものというべく、此を思い彼を思えばまた感概無量筆舌に尽すこと能わざるものあり。且つ夫れ今日の昔時に対し感謝の念をいだくが如く、今日樹立せる百年人を種うるの長計に対する後人の感謝の情に由り担うの栄誉ある